お茶摘み

   

夏のような日差しの下、5月5日恒例となったお茶摘が行われた。今年もまた素晴しいお茶摘みになった。身心がお茶畑の緑にすっかり染まった一日になった。身体の中まで空気が入れ替わった気分だ。新緑を摘むのだから、贅沢な事である。摘んでいると、指先にお茶が香るようになる。6キロが摘み終わったのが、3時頃になった。以前、6キロ摘み終わったら、暗くなっていたこともあった。6キロを単位としてお茶摘みをするのは、これが1,2キロのお茶になり、毎月100グラムのお茶の自給である。費用は3000円。製茶料、機械購入費、お茶畑の地代である。30グループぐらいの人が集まった。今回分かったのだが、一人で1グループもあれば、5人のグループもある。今年のように、お茶の葉が小さめだと、1人で6キロ摘める人も居れば、5人でも難しいグループもある。昔の手摘みの、賃仕事では一日10キロとなっていたらしい。そんなこと、10年以上も繰り返して、今になってそうかと思うのだから、おかしい。

今年は少し上の段の方が、伸びがよかったので、上の段からやった。下の段は8日の予定である。区画割りは、40区画ほどあり、一区画は9,5メートルである。それで、普通は6キロ以上摘めることになっている。今年は5キロぐらいしか摘めなかったようだ。芽が小さいというより、芽数が少なかったことが一番の原因。もう一つが、やはり凍害の影響はあって、目の大きさにムラが出来た。お茶の木の更新剪定が必要になっている。今年は久野での一番乗りである。開口一番「お茶は今日からだよ。」製茶工場でこういわれた。農の会の茶畑は、遅れて居たために、早くなった。大きい状態で凍害を受けた茶畑は、静岡のように、一番茶はだめになってしまった。遅れて小さかった芽は寒さに強かった。だから回復の立ち上がりも早く、何とか去年と同じ5日に間にあった。159キロのお茶の葉の量。

お茶を見に行ってどうにかなるものでもないが、今年は心配で10回以上行ってしまった。一時は、5日を変更しようかとまで思った。それでは皆さんのいったん決めた連休の予定がおかしくなるし。迷い迷った予定変更無しだった。次の予定の8日は摘み頃かもしれない。と言って雨が降ればそれで、もう違ってしまう。難しいものである。8日も25グループは参加する。たぶん同じ位の量はあるだろう。このお茶摘はまだ、山北に居たころに始まったのだから、10数年になる。年2回必ずお茶摘をやってきたのだが、お茶の栽培の難しさが、今になって少し分かってきたぐらいである。美味しいお茶と成ると、大体の人が言う事がいい加減なもので、少しも信用できない。目隠しテストのようなもので、味の判別が出来るものではない。まして、味覚計のようなものなどまったく意味がない。

美味しいのは自分の畑のお茶に決まっている。人の畑のお茶をおいしいのまずいの評論するのは、いわゆる消費者の言い草である。まったく私たちには関係がないことである。自分たちが出来る精一杯の栽培を行い、そしてお茶を飲む。このこと全てを、問題点も含めて味わいたい。お茶畑にまつわる全てを味の中に見たい。つまり、それで自足すべきでは無いか。もちろんもっと条件のいいお茶畑もある。しかし、それは他所の畑である。たまたま、貸して頂けた、お茶畑を大切にすること。そのことから受け取れるものは、それぞれにお茶だけでないと思う。それが「収穫を問わず。」と言う事ではないだろうか。50数グループ150人くらいの人が、集まって管理するお茶畑が既に、奇跡的ではないだろうか。そういうみんなの思いを、味わうのが農の会のお茶だと思っている。

昨日の自給作業:お茶摘6時間 累計時間:9時間

 - あしがら農の会