地域の耕作放棄地
美しい久野里地里山協議会では、耕作放棄地を見て歩いた。久野の耕作放棄地を再生するための、補助金が出るかもしれないからだ。元は田んぼだったが、ほとんど山に戻ってしまった場所。元はお茶畑だったが、やはり荒地になった場所。7箇所ほどあった。一つ一つの場所にそれぞれの理由がある。大きくは歩く道しかない場所は放棄されてしまう。当然だが、車が行く所は耕作しやすいので、放棄されにくい。畑の中まで車が入れる、それでも放棄されているという場合もあった。田んぼの中には地主さんは貸したい気持ちがある。しかし、そのままになっていると言う場合もあった。早く知っていれば、耕作したのに、という惜しい場所もあった。こう言う情報は、なかなかお互いが知ると言う事が少ない。農業委員会でも細かく調査はしているが、上手く情報がつながることが少ない。
先日もメールで農地で探している方から、連絡があった。あしがら農の会に入会すると、市民でも農地を使うことが出来るらしいという情報が伝わっているのだ。横浜や、川崎の方の方から連絡があることもある。借りたい人が居る。貸したい人が居る。しかし、上手く情報が繋がらない。繋がらないと言う事だけで、貴重な農地が荒れていっている。残念で堪らない。確かに農地の所有者にしてみれば、見ず知らずの人に農地は貸せない。いい加減な人に農地を貸して、ごみ捨て場所にされたりして、農地に戻せない場所もある。貸したら占拠したように、返さない場所もある。黙っていつの間にか耕作していて、どかない場合もある。こうした事が、安心できる形で整理されることが無い限り、農地の貸借は進まないものだ。見ず知らずのものが、貸してもらえる農地は無いといっていいのかもしれない。
昨日は連合自治会長を始め、地域で長年農業をされている人がこぞって調べたので、次から次へと情報が分かった。田中さんは畑で働いている人、全てが知り合いであった。さすが長年立派に営農して来た地域の核となる農家の方だ。信頼されていることが、よくよく分かる。耕作放棄地は、安心して貸せる先を探している。いまだ、あしがら農の会が安心して貸せる存在にまで育っていないことを痛感する。今回の事をきっかけに、田んぼの耕作もできる限り久野に移して、行かなければならないと思った。水を守るためには田んぼの耕作を続けることがとても重要である。棚田の間が、耕作を止めてしまうことは、一軒の困難ではすまない。実は、舟原でも何箇所か、今年やらないのかなというところが、今になって見えてきた。探して居る時は分からなかったが、田植えが終わってくると、あそこがと思うところが出てきた。
久野地域が、農地再生の試金石になる。農の会だけでなく、いくつものNPO団体が参入している。こうした市民団体の連絡も取り合って、地域の方々に信頼される運営をしてゆきたい。傍から見れば、農の会だって、訳の分からない宗教団体といわれたことすらある。借りた農地を農家の方が満足されるように管理してゆくこと。地域の要望に従うこと。農業者に劣らない、農業生産を上げること。いつでも気持ちよく農地を返すこと。地域で農の会に農地を貸して良かった。と言われるようにならなくては、耕作放棄地を減らす活動は出来ない。正直まだまだ、努力が足りないが、このことを実現するために、全精力を使っても惜しくない。農地を借りる側の教育機能も充実させたい。農業技術がないのに、借りたい気持ちだけでは駄目だと思う。先ず農の会で、充分に学習してもらう。農地を借りると言う意味を身体で知ってもらう。やっと足が掛かりが出来てきたこの機会を生かさなければ成らない。