景気回復
景気回復ということばが相変わらず使われている。100年に一度の経済危機と言いながら、一方で景気回復をしたら消費税を上げるというようなことを、言う人が居る。今の世界状況の把握が違っているのではないか。100年に一度という決まり文句も、だから私の責任ではない。という説明に使われているだけのようだ。今起きている、経済の状況を考えれば、今までのような経済の仕組みに戻ることはもうないと考えておいた方がいい。アメリカを中心にした、グローバル経済が崩壊し始めている。先ず消費意欲の衰退と言う事が、顕著になっている。今までの経済は、必要不可欠なものが消費されるのでなく、あってもなくてもいいが、あれば便利そうだとか、カッコが良さそうだ、買っておけば値上がりする、と言うような作られた意識によって、無理に消費が喚起されてきた。気持ちが変われば、買わないでもすんでしまうような消費だ。
消費は美徳というような、儒教精神に反するような、価値観の転換を誘導し、消費が炊き付けられる社会。それは雇用の形態にも反映し、職業というものに幸せになる基本を見つける事が出来ない社会にもなった。職業が労働力の販売先としての意味しか見出しにくくなってきた社会。職業への希望そのものが、消費と同様に操作され形成される。もちろん選択の余地もなかった、江戸時代に較べて、生きることの自由度の拡大が進んできたはずであった。確かに戦後から70年代までは、そうした現実が感じられた。しかしその後の動きを見ると、本当の自由ではなく、枠の中での飼いならされた自由に変わってきた。消費という欲望も制御、操作される。生きるという実感が急速に失われる時代の流れ。日々生きるという困難を乗り越える、体験。こうした実体験から遠ざかる、日常感覚。
グローバル化という形で、世界一辺倒に作り上げられた、消費的価値意識。作られた消費社会の清算が始まっている。パリ以来の友人に、ファッション産業の人が居るのだが、流行を作り出す手法の事を伺った事がある。単純に図式にすれば、「この色Aを売る。その場合、裏としてBの色を抑え、AとBの為にCを使う。というような方式で、消費者の意識操作をする。」家を作らせる為には、新たな生活のステータスを形成しなければならない。人間の生き方のイメージ戦略。所が世界中が同じであるということは、本来おかしいことだ。無理のあることだ。特にイスラム社会では、生理的にグローバル化を受け入れられない価値が存在する。伝統とか独自の文化という背景が存在し、自動車というものを必需品として、暮すような世界共通に作り上げられた価値観へ揺り戻しが起きている。
アメリカンドリーム的豊かさからの、大量消費システムからの、価値観の変貌が始まっている。グリーンニューディール政策が世界で言われているが、これは今までの流れに対し、反省し、方向転換をしようと言う事だ。自動車に乗らないで暮すことが、ステータスになるような転換なのだ。これは大量消費社会の衰退を意味する。この転換では日本はたぶん一番遅れて転換する国に成るだろう。成功体験がここでは、大いに障害になる。ソーラーシステムの普及、省エネ家電の開発。こう言う方向は考えられるだろうが、省エネルギーの電気を使わない価値観が作れるか。
というような予測は、たぶん私の期待に満ちた展望である。バブルが崩壊したときも、同じことを予測した。所が、転換を出来ず、20年かけて問題を深刻化しただけだった。もし、ここで景気が回復するようでは、その先は大きな墜落になる。むしろ、景気は回復せず、やむを得ず、徐々に方向転換する方が、不時着できるのだが。