田母神論文のその後
政府は21日、田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関し政府見解と異なる論文を発表したことでシビリアンコントロール(文民統制)の緩みが指摘されていることを受け、官邸に設置された「防衛省改革に関する有識者会議」を25日にも開き、幹部自衛官の教育の在り方見直しなどについて協議する方針を固めた。
田母神氏の懸賞論文は、相当に配慮されたタイミングで、出されたと思われる。それは社会情勢もあろうし、又定年までの時間的配慮もされている。田母神氏の論文が波紋を呼んだとはいえ、政府は憲法解釈に関わる、自衛隊問題を、改めて巧みに蓋をしてしまった。本来この機会に自衛隊の文民統制が、どうあるべきなのか。自衛隊の思想教育は可能なのかどうか。公務員の言論の自由はどういう範囲であるか。その背景に厳然と存在する日本の安全保障体制について、根本から問い直すべきではないだろうか。憲法9条の事は、随分と議論が広がったと思う。しかし、軍備そのものについては、九条は堅持を主張する人達の中でも意見は様々だ。一切の軍備を放棄すべきとするものから、現状程度は必要とするものまで存在する。私も3つの9条の会に入っているのだが、このことを正面から議論したことはい。
田母神論文では、日中戦争も、対米開戦も「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠(わな)」で、これも「コミンテルンに動かされていた」とする。当時、米政権には三百人のコミンテルンのスパイがいて、そのトップはハル・ノートの作成にかかわったハリー・ホワイト財務次官補。彼がルーズベルト大統領を動かし、日本はその罠にはまり真珠湾攻撃を決行した。論文内容は、「大東亜戦争の正体」清水馨八郎著、と酷似している。この本が種本なのか、あるいは他にもこのような考え方をする人がいるのか。知る所ではないが、驚くほど似ている。もしこの説で行けば、日本の当時の軍人と言うのは、随分愚かな世界情勢の読めない、簡単に騙されるレベルの連中だったとなる。そのはずがない、軍はいうに及ばず、大半の国民、政治家、昭和天皇に到るまで、戦争以外に道はないと、思いつめて戦争に突入したはずだ。日本にのみ責任が存在するはずもないが、日本が罠にはまった愚かな国で、いわば精神鑑定が必要な責任の取れないような国で、責任が無い。などと言えない。もちろん世界情勢を読み違えたことを、罠と言えば言える。
罠であろうがなかろうが、日本国がアジア諸国にどんな侵略的行為を行ったのか、という事実の確認とその後の対応が問題。文民統制などと大きいことをいいながら、議論を避けているのは、政治家であり、官僚である。自虐史観などと切り捨てながら、きちっと過去を見ようとしない態度が、田母神氏を産んでいる。背景には歴代自民党総理が田母神氏と同種の認識と、思想を、持っていることにある。それ故にこうした出発点で、そのことを議論したくないというのが自民党政権の本音であろう。三十年前にも自衛隊トップの“暴走発言”があった。栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「現行法では奇襲攻撃を受けても首相の出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはあり得る」と述べ、いわゆる超法規発言として政治問題化した。文民統制上、不適切と同氏は解任されたが、時の福田赳夫首相が有事立法の研究促進を指示するなど国防論議に大きな波紋を投じた。こうした幕僚長による自衛隊から武力蜂起が起きた場合、政府はどんな対応を考えているのだろうか。
自衛隊が巨大な世界に影響を与えるレベルで現実に存在している以上、充分に文民統制とは何か議論をすべきだ。田母神氏が幕僚長であるように、自衛隊の思想の基本はこの論文ままであると考えた方がいい。現場と言うものがそういうものになりがちなのは、想像に固くない。そこでどうする。これを議論せず、ごまかしてしまうことは、確かに日本的な始末の仕方ではあるが、この先経済困難時代が来る。それは国家危機が迫ると言う事だ。必ず、武力的に問題を解決しようと言う勢力が現れる。仮想敵国を想定し、危機状況を高めて、国民の目をそらすと言う事は必ず起こる。現実には北朝鮮問題であろう。あまりに理不尽さに国民が怒りを向ける。こう言う筋書きが用意されているかもしれない。大いに気おつけなくては成らない。軍事力でない、平和創設隊に自衛隊を変える。世界のあらゆる困難に、現在の軍備費全てを投入して、災害復興、危機状況解決のため働いてゆく。そうして日本の国際貢献が世界に評価される状況を作り出す。日本を攻撃することは、さすがにできないと言う、世界世論を作り出す。そう自衛隊を改変することだと考えている。