ソニーの16000人の解雇
これは発端に過ぎない、今後大半の大企業が大量解雇にならざるえないだろう。失業者の増大は避けられない。来年は失業者問題が、大きな社会不安を生み出すに違いない。今までこの状況に到ることを見過ごしてきたことの責任が大きい。ここ5年企業は膨大な利益を上げてきた。しかしこれは自転車操業のようなもので、金融商品という、借金を商品にするような不自然なことを、繰り返していた結果に過ぎない。そもそもソニーはテレビが売れなくなっていた。液晶テレビの競争も危うくなっていた。パソコン部門でも電池の技術的な問題を繰り返すように、技術力が衰退を始めていたのではないか。その中での解雇であって、金融がおかしくなっているのもあるが、それ以上に世界経済のバブルがはじけているのだ。特に中国の経済の実態のない膨大な投資がここに来て崩れ始めている。
日本の労働人口の基本的な構造は、経済の浮き沈みに伴い、労働人口の調整を行ってきたのが、農業分野である。不景気が進むと吸収できなくなった農業者が、移民という名の棄民に到る。本来農業が吸収してきた労働人口が、農業分野において吸収しきれなくなっている。ここが今回の状況の深刻さである。農業分野に職場がないというのでなく。労働者の質の転換。失業者の増大は来年の大きな課題になる。過去の失業者は肉体労働が可能であった。3Kとか蔑称される現場職種が失業者を吸収できた。しかし、ソニーで解雇された労働者は、3K分野に転職できるだろうか。トヨタ自動車で解雇された、契約社員は絶望するだけではないだろうか。ここに日本の労働者の労働に対する意識的問題がある。企業において、人間が生きていく本質から切り離されたような形で、実感の伴わない労働をして来なかっただろうか。
農業は小なりと言えども、自営業である。農協に言われたものを作っていたとしても、自己責任の世界である。ついこの前までは、80%の日本人が農業者であったのだ。生きると言う事をいつも自分で切り開く以外ない中にいた。もちろん暮らしは苦しく、展望もないような暮らしであったかもしれない。しかし、暮してゆくと言う事がどのようなことかは、身に染みて理解していた。理解せざるえない中で、暮してきた。そうした労働と、生き様を常に深刻な眼差しで見つめざるえない暮らしであった。どのように生きるのかは、どのように生計を立てるのかと、一緒に考えざる得なかった。所が、企業側はそんなことを考えない、人間のほうを望んだ。黙って必要なことをする人材を希望した。これが派遣社員の増大である。会社への愛着とか、忠誠心とか、そんな物は必要としない、労働者を希望した。企業社会では労働者の質が二分しているのかもしれない。
この先、農業が失業者をどのように吸収していけるのか。これが課題になる。それが不時着地点だ。農業への不時着は、様々な形態がある。当然、あらゆる形を模索しなくてはならない。その道は苦難な道ではあるが、希望が又見えてくる人間的な道でもある。悲観することなく、むしろ希望を持って農業への道を歩み始めるべきだ。農業に進むと言う事は、金権主義からの脱却でも在る。お金とは別の価値の世界である。技術が喜びに直接繋がる世界である。自然の中にのめり込んで生きることである。農業は知識より感性の世界である。理屈より結果の世界である。そして結果としての作物は、人間が食べる。と言う不可欠な基本的なところに関わっている。日々役立つか役立たないかが、実感できる暮らしである。ここに基本を置いて生きてゆくことが出来ることは、とてもありがたいことである。失業で落胆せず、農業を見直すこともできる。