我を忘れる大切さ
2025/12/11

我を忘れて絵を描きたい。そう考えて画面に向かっている。例えばドジャースの山本投手がワールドシリーズ最終戦最後の回の投球。我を忘れて息をのんでみていた。あんな風にそのことに没頭してしてまい。自分というものがどこにいるのかも分からないような状況で、絵を描きたいと考えている。
子供の頃から、極度に自己中心的だったと思われる。そして、それで良いという両親だったと思う。そのけっか自分とは何かというこだわりが強すぎて、それ以外のことがない人間なのだと思う。だから、こんなブログを続けているし、私絵画を描いているのだろう。
石垣島に来てからは、忘我して絵に向かうようにした。自分というものから離れない限り、自分に至れないという逆説のようなことだ。7年間経った。少しづつではあるが、以前よりは我を忘れて絵を描いている。つまり小脳的に絵を描く。考えないで心臓が動いているようにである。
どのように描こうとか、色をどうする。構図をどうする。そもそも何を描くのか。まず絵を描く前庭のようなものを捨てようとしている。意識の前提のようなものを持たないで、絵を描く用にしている。そんなおかしなことはあり得ないと思うが、続けている内に少しそんな風になっている。
これはまず入り口の第一歩だと思っている。名人伝のように筆を見て、これは何に使うものですか。最後には指を差したところが絵になっているということで終わる。(これは岡本太郎が主張したことだ)まあ、名人ではないただの人なので、それはないだろう。
おかしいことは分かっているが、絵を描くことに没頭して、我を忘れるようではありたい。大脳を使って考えて絵を描くと言うことから離れたい。理屈で絵を描くということから離れたい。自分への執着で絵を描いてきたことのつまらなさである。
大谷選手がホームランを打つときのような心境が理想である。ただ向かってくるボールに集中して反応するだけになる。それまでの用意はとことんするのだろうが、打つときにあれこれ考えていない。すべてを忘れて、身体の反応に任せる。
絵を描くと言うことは、マウンドに立つ投手。打席に立ったバッターのようなものだ。ただ来る球に集中している。一つのことに集中することで、雑念が払われる。絵を描くという時に集中しているのは、画面である。絵に関する情報のようなものをすべて捨てたい。
画面に集中している。集中するとは、画面に無念無想で向かうこと。我を忘れると何故本質が現われるのかである。一番忘れたいものは、過去に描いた自分の絵である。自分の画風のようなものから離れて、新たな絵を生み出したい。学んだものを捨てて、自分の目だけに立ち戻りたいと考えている。
大脳が覚えていることが、自由になることの災いになっている。と言うことではないか。淺知恵である。小賢しく構図を考えて描く。色のバランスだ、バルールだと、絵筆を採ったときに理屈が先行すると、その人の感性が抑制されてしまうような気がする。どうすれば、未だかつてない自分に出会えるか。
絵における理屈は過去の蓄積した知識である。構図など散々考え尽くされている。そんな物は絵の解釈であり、絵を描く創作者はとらわれてはならないものと、考えるようになった。ただ絵を描いている範囲であれば、そうした過去の絵の蓄積を上手に生かせば良い。
しかし、私がやりたいのは、生きる目的の行としての絵画だ。未だかつてない新たな創造がしたい。他人の絵画は関係がない。自分の絵がどれほどつたないものであれ、自分の中から生まれたものでなければならない。ほどほどのできあがりは商品絵画に任せて、新たな0からの挑戦でなければならない。
それには自分の獲得した小さな技を、真っ先に忘れなければならない。常に未発見に向かう挑戦である。人間にとって一番の障害は自分だ。自己否定できなければ芸術にならない。このつまらない自己を温存するのが、自己執着の小人間の本能のようなものだ。
無難なところでくだらない絵を自分だと思い込もうとする。そんなところに自分の絵があるはずもない。それは過去の絵画のなれの果てだ。昔の芸術表現をまねたところで、それは自分の絵画ではない。面白くない。どれほどつたないものであれ、自分の世界の表現に至りたい。
ではどうすれば、没我出来るかである。座禅をするときに無念無想という目標がある。私には出来なかった。座禅は耐えていた行だから、没我どころではなかった。逆に我に向かい合うことになった。何か違うと思わざるえないことになった。
我を忘れるためには、我を忘れるほど面白いことをやるのが一番ではないか。まずは好きなことをやってみること。好きでもない苦行を行うよりも、楽行の方角が自分の道だと言う考え方に逃げた気がする。苦し言い訳のようなものだが、生きるにはそれしかなかった。
自給生活を試したのも、私という人間が自分の身体で、自分の食べ物を作るところまで可能なのかを試したかった。田んぼを作っている。稲を作るのではなく、田んぼ自体を作る所からやってみたかった。何もないところから、私がいきられるかを試したかった。
のぼたん農園の農地はすべて作ったものである。牧場が耕作放棄された場所に農地を切り開く。30代の私が身体一つでやったことを、今度は機械力を駆使して、もう一度試してみている。毎日が面白くてやりがいがある。のぼたん農園の湧水の苗代に、種籾を蒔いた。
2026年の食糧自給の挑戦が始まった。自給の覚悟の挑戦である。5年で自給が出来ないようであれば、死ぬしかない。30代の山北での挑戦を、もう一度やっている。来年はのぼたん農園の5年目である。必ず自給を達成する覚悟である。命の覚悟の挑戦ほど面白いものはない。
絵を描くと言うことも、命の覚悟の挑戦でなければ、つまらないものだ。絵を描く以上、只管打画の覚悟がなければ、無意味なことだ。大上段で馬鹿馬鹿しいことのようだが、時々は何のために絵を描いているのかを、確認する必要がある。
楽行の極みに絵があると言うこと。どれほど絵を描くことを楽しんでいるか。これが問われている。田んぼを作ることには夢中である。我を忘れて作業をしている。絵を描くとこにも、夢中で、我を忘れて制作しているか。作業を一休みしては、絵を描く。
田んぼを作ることと、絵を描くことは連なっている。何も変わりがないはずだ。どちらも生きるという醍醐味である。稲作りも冒険である。自然に委ねて祈るほかない。絵を描くことは、行き着く先すら見えない冒険である。しかし、日々描くことには手応えがある。
絵を描くことで、生きることを深く味わうことが出来るかどうかと言うことになる。生きる歯ごたえが絵を描くという行為にあるか。この歯形が絵だ。たいしたことがないようだ。しかし、それで良いとも思っている。絵を描くことは甘噛みのようなもので良いような気がしている。
絵と向かい合っていることが出来れば、十分である。今日一日、我を忘れて絵が描けたか。それだけで良い。石垣に来て7年間、だんだん絵を描くことで十分になっている。出来た絵のことは、以前ほどは考えなくなっている。どれほど命がけで絵を描けたか。このことを自問しなければならない。