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笹村 出-自給農業の記録-

デジタル社会についていけない

   

行政がスマホ、パソコン指導所を開設する必要がある。そして境目にいる大多数の人を救済すべきだ。デジタル社会救済はもう行政の仕事だと思う。ちょっとした分からないことを相談できる場所だ。ここにはボランティアスタッフを募集したら良いと思う。

デジタル社会から脱落する人はたくさんいるだろう。私は落ちこぼれながら、かろうじてしがみついている一人という意識がある。30年前山北に住んでいたころ、山北駅前の薬局のご主人と友人になった。その方は薬局の店先でパソコン教室を開いていた。

新東名高速の反対運動で、一緒に活動した。その時に笹村さんがやっているような「あしがら農の会」の活動には、インターネットが不可欠なものになる。これからの社会の市民活動には、インターネットが不可欠なものになるから、勉強してください。わからないことがあれば教えてあげるのでと言ってもらった。

それでパソコンを購入して、わからないながら初めた訳だ。ところがその教えてくれるはずの方は、私よりはるかに若い方だったにもかかわらず、突然亡くなられてしまった。辛い別れだった。その方はこれからの物流は舟で行うべきだという考えだった。

最初に買ったパソコンは壊れてもいいと思いでたらめに操作して覚えた。梱包をほどいて、電気を入れることすら、ドキドキしてコンセントを差した。何も分からないので、ともかく手探りでやってみた。それでもなんとかなった。あれから買い換えたパソコンは10台以上になる。何となく最初のまま富士通である。

一番最初に覚えたものが、ブラインドタッチというものだった。早くキーボードを打てなければ、パソコンは始まらないと考えた。そこで、1週間でブラインドタッチというCDを購入して、その通り1週間で覚えることができた。今ではかなり早く打てる。

このキーボードが指の運動になっていて、惚け防止では無いかと思って毎朝打っている。ゆっくりした話なら、聞きながら打てるぐらいの速度で打てる。毎朝3000字を打つようにしているのだから、速度が無ければこなせない。

ブラインドタッチで自信がついた。その後はあれこれ自己流でやりながら覚えていった。失敗を重ねながら、何ヶ月もかかったが、何とかこなせるようになった。あしがら農の会の連絡はメールに限定した。これには反対が多かった。ネット弱者の差別だという意見だった。

確かにその通りで、意味は理解できないわけではなかったが、農の会が活動してゆくためには、郵便や電話では不可能だと思った。どうしても農の会にかかわりたいのであれば、メールのやり方を教えるので、やってもらうということにした。メールでの連絡がそんな批判が出る時代だったのだ。

すべての連絡をメールにしたことで、あしがら農の会の活動は広がっていった。事務局などないあしがら農の会の活動が、インターネットのおかげで広がっていったと思う。立ち上げた当初はほとんど一人でやっていたわけだが、当時の常識から言えば、いくらか先駆的だったと思う。

インターネットを始めてから、30年経過したのだろう。社会は様変わりした。そして人間の生き方も変えられ始めている。これがコンピュター革命の社会かなのだろう。大変なことだと思うが、人間はこれを受け入れて我が物にする以外に無い。

電気を引いたらば、伝染病が電線に載って広がると言われたのが文明開化の日本である。コンピュターを有効なものとして受け入れる必要がある。特に老人はコンピュターをやらなければ、社会の中で生きて行けない。コンピュターは世界への窓である。

老人は移動が難しくなる。特に地方社会の老人は車が無ければ生活が極端に狭められる。買い物だってほぼ不可能になる。しかし、スマホが操作できれば、あるいはパソコンが操作できれば、ネット通販でほぼすべてのもの買い物が出来る。私の買い物はそういう感じである。

30年前老人になってから、パソコンを覚えるのはさらに難しい。若い内に身につけられるかどうかで、暮らしが大きく変わると考えた。そう考えたおかげで、石垣島に越すことも出来たのだと思う。なにしろ、東京までの飛行機を往復16000円で購入した。

三時間16000円ならば、かなり距離のハンディーを軽減できる。毎月東京には出かけている。これも、パソコンを習得できたからだと思う。今の若い人ならば、当たり前のことだと思うが、年寄りの壁をインターネットが低くしてくれる。

それでも次々に新しいものが登場する。私にはスマホが高いハードルだった。そこで、電話付きのタブレットをはじめから使っていた。よく、タブレットで電話などで切るのかと言われたが、全く問題ない。むしろスピーカーを使えば、耳が遠くても可能だ。

スマホの課題は文字が打てないと言うことだった。何とかタブレット画面にキーボードを表示して、使っていた。目が悪いためだと思うのだが、小さなスマホの画面で文字を打つことは、今でも辛い。つまり、タブレットを止めてスマホを導入したのだ。

どうしているかと言えば、よたよたとスマホでラインをしている。あるいはグーグルを使っている。最近音声入力が良くなったので、あの細かな文字打ちがある程度避けられるようになった。そこで、モバイルWi-Fiとスマホとノートパソコンをアトリエカーに積んである。

今はモバイルWi-FiとリチャージWi-Fiで、ドコモを止めることが出来た。出費が10分の1になった。嘘のようなことだ。便利になって安くなったのだ。のぼたん農園は電波環境が良くないのだが、何とか問題なく使えている。

先日は東京都美術館の事務所でも、モバイルWi-Fiを利用した。問題なく使えた。そもそも、事務所にWi-Fi環境が無いことがおかしいことだと思っていたが、遅れた国に暮らす以上、自ら解決する以外に無い。そこでモバイルWi-Fiである。本当に便利になった。

いつもならば、ホテルに帰らなければ出来なかった事務処理など、すぐにその場で解決できた。これだって、10年前だって出来たはずのことなのだが、遅れていてやっと取り入れることが出来た。革命について行けるかどうかだ。しかし、水彩人展ではメール連絡が未だに出来ない。手紙である。

事務所の人にメールを送っても帰ってきてしまう。どういうことかと思うが、事務所の担当が、革命以前の社会に暮らしている方なので仕方が無い。郵便連絡だから、頻繁にはやりとりが出来ない。まああまりやりとりがない方が良いと言うことなのだろう。

ネット弱者という人が居る。確かに様々な理由でネット社会から除外されている人は居る。社会として対応した方が良い。問題はその境目にいる人たちに、社会が救済をしなければならない。ネットはちょっとした分からないことを、気軽に指導してもらえるかどうかである。

のぼたん農園で、スマホに関してずいぶんと教わった。スマホに変えて2年目ぐらいになる。タイに移住された高梨さんが、これからはスマホをやれというので、安くスマホを売ってあげるからと言って、押しつけるようにタブレットからスマホに変えさせられた。まあ良かったわけだ。

最初は困ったわけだが、高梨さんに言われることは分からないでは無かった。何しろ日本のタブレット会社は、電話機能付きのタブレットを辞めてしまった。何とか中古市場にあったソニーのタブレットの使われていないものを捜して、使っていた。これも当然、アンドロイドが古くなりダメになった。本当にスマホも、パソコンも消耗品である。

中華タブレットを使っていたら、アメリカの制裁である。グーグルが使えないから、アプリがダウンロードできない。アプリが入らないからスマートウオッチさえ使えない。スマホに変えざる得ない状況だった。今のパソコンの課題はウインドーズ10から11への変更である。結局買い換えなければならないものもありそうだ。

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