日本の米はどうすればいいのか。
2025/09/13
日本のお米が行き詰まった。そして、備蓄米を放出してしのごうとしたが、コメ相場を崩すまでには至っていない。これはあくまで対処療法である。お米の流通に闇が存在することがよく分かっただろう。小泉農相は闇まで暴こうとはしなかった。おやじよりだめだ。
今年の備蓄米は、今アメリカ米になるのかもしれない。美味しく食べれることが分かったので、何の心配もいらない。古古古米が不味くて食べれないと主張した人、反省してください。食べてみてどうだったか感想を書いてもらいたいものだ。
お米は日本人の主食である。消費量は年々減少はしているが、少し足りないぐらいの生産量しか生産されていないということが分かった。その理由は気候変動もの不作もあるが、大きくは農水省の稲作生産の方針が間違っていたためだ。
農水族という議員が自民党にはいて、歴代の農水大臣はそこから出ている。農協に選挙の時助けられている議員だ。統一教会議員と同じである。選挙で支持されているから、裏に回って、農協の温存ばかり考えている。そうでしょ江藤さん。
一例をあげれば、飼料米の補助金だ。飼料米は作るだけでお金がもらえるというので、ずいぶんずさんな生産がされている。米農家の心をつぶしているのではないかと思う。若い人が作りさえすれば、お金になると言って、田んぼをやっているのは、あまりにつらい姿だ。
飼料米作りもいいけれど、気持ちのこもった農業が失われる可能性がある。実際やられている人を何人かお会いしたが、どうも農業者としておかしなことになっている。お金になればいいから、捨て作りをする。これは心を貧しくする。
50年前の日本の米作りは世界一だった。当時はまだ高い農業技術の農業者がたくさんいた。戦前の伝統的稲作で磨き上げた農業技術がまだ生きていた時代だ。土づくりを美徳とされていた時代だ。「児孫の為に美田を買わず」西郷隆盛の漢詩から来ているとある。美田という言葉が奄美大島に流された人の言葉として、印象的である。
国内が食糧不足もあった。農地解放もあった。百姓が開墾をして、藤垈部落でも、見渡す限り畑になった時代だ。頑張って生産すれば、稲作農家が豊かになれた時代だった。あの頃に今の農協が共助の精神で生まれたのだ。
ところが、農協と農政とが、米価闘争を戦う形で決着を続けている間に、コメの生産性が著しく下がっていった。世界には規模が日本の100倍もある稲作農家や、飛行機で播種するような機械化の進んだ脳稲作が出現した。
一方で安い労働力で生産する、おコメも生産を増やした。その結果、日本のお米は世界で一番生産コストがかかるものになっていた。しかし、政治決着が相変わらず行われていて、小さな農家と農協の利権という構図が政治的に守られることになってしまった。
それは今でも続いている。JAによる農家の温存作である。大きな農家は自分でお米を販売する。農協にしてみれば、商売敵である。小さな農家にも買い付け企業が回るようになって、農協の集荷力は年々下がっている。
農協は農業経営というよりも、事業を農業分野よりも、金融や保険業務に経営を移した。その為、小さな農家はその農協事業を支えるお客さんになった。私も西湘農協と八重山農協と両方に口座があり、正組合員と準組合員である。
農協の稲作生産者の生産コストは低い。面積が小さいし、兼業農家がほとんどである。しかし、この大量な組合員が票田でもある。運営委員をしていたこともあるので、なんとなく、この構図は分かっている。総会に出るだけで交通費が出るのだ。