米価格はいくらが適正価格になるか

      2025/07/18

米価格は小泉農相になりやっと下がった。それまでは備蓄米の放出をしても、一向に下がらなかった。そして下がらない理由をおかしなところに押しつけていた。米価が下がらない理由は農協が下げたくなかったからだと考えて居る。それはそうだろう自分が販売しいるものをできるだけ高く売りたいのは当たり前だ。

政府が本気で値下げしようとすれば、出来ることだったことが判る。一番効果を上げているのは、もしこれでも下げようとしないのであれば、政府がお米の輸入を行うと小泉大臣がほのめかしたためだ。「ミニマム・アクセス米」と呼ばれるお米が、年間約77万トンが義務的に輸入されている。

これを、主食米として輸入すると政府が主張すれば、米を高く売りたくて今でも温存している人たちは、嫌でも販売してしまわざる得ないはずだ。米の流通には汚い問題がある。複雑な仲卸関係が介在する、米にまつわる流通経路の複雑化は米流通で儲けようと考えて居る米相場企業が考えて、わざわざ作り上げた歪んだ仕組みなのだ。

これがトランプが言うところの700%の関税の実情である。見えない障壁がある。農協が支配し居てきたために、歪んだ流通が生じている。米飯給食に地域のお米を使って貰うための活動をしたときに、お米の流通の闇が深いと言うことを知った。農協独占が生んだものだろう。

簡単に言えば、米農家が販売して手にするお金の、倍のお金で消費者には渡るようになっている。農家が1キロ400円で売った玄米が、スーパーでは800円で売られている。この価格差を知ったときに、馬鹿馬鹿しくて直接販売するほか無いと考えた。そのお米屋さんとのやりとりはこのブログに20年ぐらい昔に書いた。

書いたことでそのお米屋さんとは関係が悪くなった。失礼なことだったが、嘘を書いたわけではない。読んだらまた怒らすかな。そして、農の会が直接販売する仕組みを作った。私には農家が苦労して作っているお米を、仕入れて倍に売るなどあまりにおかしいとしか思えなかった。しかしそれが商業のルールなのだとお米屋さんの主張だった。

しかし、農家が一本100円で売ったとおもろこしがスーパーで200円では高すぎると思う。せいぜい、150円くらいが適正価格だと考えて居る。現代農業によると、今のお米は一万円で農家が売ったお米は1万5千円で消費者が食べると出ていた。やっぱりあれはおかしかったのか。

流通経費が農家の手取り価格と同じではさすがにやってられないと言うことだった。農家の生産経費と、販売手数料が同じではやりきれない。農家が自分で販売すれば、倍に売れると言うことになる。それなら、自分で売ろうと考えて不思議がない。農協はそう思わないように農家を支配してきた。

30年くらい前の話になるが、小田原であしがら農の会の宅配を始めた。農の会の中の農家になりたいと考える人達が集まり、週に2回宅配を始めた。そのときに出来た野菜や卵やお米を、下大井にある集荷場に集める。それを宅配参加者がセットにして、買ってくれる人に配る。この方法しか、小さな農家が生き残る方法はないと考えたからだ。

お客さんは、有機農産物を希望する人や、新規就農者を応援してあげようという人たちだった。農産物は生産量が大きく変化する。これも出来る限り、宅配の方達に受け入れていただいた。理解ある方が多かったと思う。いくつかのレストランなどのお店がまとめて買ってくれていたので助かった。

そして農の会から農家になった人は年に1人は居て、30人は越えている。様々な形で農家になったのだが、宅配の仕組みは今も生きている。宅配の人たちはあしがら農の会から離れて、それぞれに活動しているようだ。農の会は自給の会だから当然の結果である。

食料品の流通がいかにもおかしい。ということで隙間産業として、農の会の宅配業はギリギリ成立した。本来であれば、農協が農家が作る農産物の販売を担っているのだから、農家が利益の出るような、農家が成り立つ流通形態を作る義務がある。ところがこの流通の暴利に農協が介在している。

この流通暴利を見えなくしているのが、仲卸業者である。しかし、大手のスーパーは直接農家と契約をして、良い野菜を安く売るところが登場している。そこには様々な問題はあるのだろうが、最終的には生産者が生き残れる仕組みで無い限り、流通業者や小売店も成立しない。

今回のまさに米騒動では、この流通の不自然さがよくよく理解されたと思う。例えば昔は玄米の方を高く売る米屋やスーパーも多かったのだ。最近では銘柄米が一般的になったが、それまでのお米はすべてがブレンド米である。何が入っているか判らなくして、利益を上げるという闇米販売である。

古いお米を新米として販売したり、とんでもないお米を魚沼産コシヒカリにしたり、インチキ販売が蔓延している世界だった。さすがに今はそれほどひどいことはないが、まだ大きな流通の闇が隠れていることが、今回の米騒動で見えてきたわけだ。

その闇を闇にしておく仕組みが、農家はお米を60キロいくらで考えて居る。14000円なら販売できるとか話しているのだ。最近ではスーパーの袋が5キロが多いので、5キロいくらが一般的になった。しかし、60キロ1万4千円のお米を5キロいくらとは、連動しにくい。ここは農家も1キロ233円で考えた方が良い。

そこで一番重要なことはお米はいくらが適正価格なのかを考えてみる。現代農業では今月行で特集を組んだ。驚いたことに、世界でお米が流通している価格が出ていないのだ。国内だけの問題にしては、何も判らない。農家を養護するのは良いが、生産性の低過ぎる農家を温存することは間違っている。

適正な価格は世界の米の値段である。世界で流通できるだけの価格で、つまり関税障壁など無くして、買ってもらえる価格である。日本の米の生産性は低く過ぎる。大規模化して、農地を合理化して、生産生成をよくするのは日本農業の使命だ。生産性の改善と、日本の農家をどうするかは別問題なのだ。

農家を維持ずるとしても、残すべき地域がある。大規模化できるまっただ中で、小さな農家を続けて貰っても困る。中山間地の条件不利な農地で、美味しい自然米を作って貰うべきだ。環境産業のような位置づけである。そこには農業だけでない価値観を付帯させる。

小さな農家の実感からでる感覚的価格が農文教の出したキロ400円検討である。人件費をまともに考えたら、もう少し高くなるのだろうが、小さな農家の人件費はあるようでないところあり、水回りが朝の散歩だったりするのだから、なんとも言えない物になる。草取りを楽しみにしているという人だっているのだ。

実際には100ヘクタールを越える農家の生産価格となると、全く違う基準で考えなければならない。日本は稲作には恵まれた気候の地域だ。国際価格より生産費が高いというのでは、生産性が低いと言うことになり、努力が足りない。あるいは何か社会的な問題が存在すると考えなければならない。

実際には日本の農村を支えてきた、地方の中核を担う農家の未来をどう考えるかである。収入は農家収入の方が少ないかもしれないが、意識としては農家であり日本の農業を支えてきたと自負している人たちがいる。現にその人たちが消滅の危機にある地方社会を下支えしている。

しかもその中山間地の農家の方々は、条件不利な農地を利用している場合が多い。耕作を止めた場合でも、企業的農家には手が出しにくい生産性の低い農地を含んでいる。しかし、水はつながっている。地域社会の維持にも関わってくる。経済合理性だけでは、お米の適正価格は出てこないことになる。

維持して貰わなくてはならない、社会的に有意義な農家を継続して貰う費用を、戸別補償として考えなければならないことになる。この戸別補償問題は米の適正核問題とは異なるが、深く関係をしている。農業補助金をトランプは関税外相壁と指摘しているが、社会インフラの維持という意味である。

適正価格で販売して貰い、米収入は赤字であるとしても、農家としての継続は戸別補償で補う。これ以外に中山間地の農家の存続はない。農家の存続がなくなれば、地方社会そのものが消滅する。これでは日本の未来が危ういことになる。きちっとした経済に乗った地方社会が存在することが、日本の社会の安全保障である。

こうした主張を明確にしているのは、立憲民主党である。農水大臣をされた山田さんという方が主導している考え方なのだと思う。現代農業がお米の正しい価格はいくらかという特集をしている。これがあまりにおかしい論調である。改めて書くが、農文教はおかしくなった。

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