内橋克人さんが亡くなられた。

   



 内橋克人さんが亡くなられた。9月1日のことである。日本は又大切な灯台を失ったことになる。内橋さんは市場原理主義を否定されていた。主張として否定している人は数多くおられるのではあるが、内橋さんは具体的な対案をいつも示してくれていた。

  内橋さんの具体案は人間によりそう温かいものだった。人間が日々充実して生きるという、当たり前のことが基本に据えられていた。しかもそれこそが日本の経済の充実のために必要なのだと、いつも言われていた。人間の暮らしをいつも大切にされていた。

 道しるべを失い、呆然とする気持ちだ。今は内橋さんが主張されていたことを、しっかりと思い出して、暮らして行く以外にないと思う。もうマスメディアの中で、農業に携わるものの暮らしを守ってくれる人はいないという、心許なさで一杯になる。

 人と人とが「共生する経済」を主張した。その基本となるのが、「FEC自給圏」を目指す地域づくり。FEC自給圏とは、食糧(Foods)とエネルギー(Energy)、そしてケア(Care=医療・介護・福祉)をできるだけ地域内で自給することが、コミュニティの生存条件を強くし、雇用を生み出し、地域が自立することにつながる と言う考え方。

 資本主義経済が限界に達しているのではないかと、このことは最近世界中で言われている。しかし、能力主義で無ければ、人間は努力しなくなる。有能な人が世の中を引っ張って行くことが国際競争に勝つためには必要なのだ。こういう能力主義の考え方の誘惑に勝てないのが、追い込まれつつある日本社会なのでは無いだろうか。

 農業でも経済合理性が最優先で、農業が好きで、楽しいから農業をやるというようなことは、少しも考慮されない。そんな甘いことは職業農家は口にしてはいけない、国際競争力のある農業をやれ、生産性を上げろと追い立てられている。

 しかし人間が生きると言うことから考えれば、日々が楽しく暮らせると言うことが何よりのことであるのが当たり前のことだ。農業の良さはそこにあるのに、その肝心なことが抜け落ちている。農業は大変な割に儲からない職業だが、気ままに自分のペースで暮らして行ける良さがある。

 農業は目の届く周りの人との共生を見付ける暮らし方でもある。日本の伝統的稲作農業は田んぼの水利が日本の集落を形成したように、互いに共生することがよりよく生きると言うことに直結した暮らし方である。自分だけがという我田引水では、暮らしは成り立たない。

 昔、米作り日本一というコンクールが1949年から20年間あった。印象深いコンクールだったのだが、私が生まれて成人するまでの間のことだったようだ。一反で何キロのお米を収穫できるかの競争である。多収することが良いことだった時代があった。

 その受賞者を時間が経ってから、追跡したNHKのドキュメント番組があった。確かそのうちの最後の受賞者の方は、減反が始まって農業を辞めて、タクシードライバーになっていた。理由はもう馬鹿馬鹿しくてやってられないと言われるのだ。

 このコンクールは減反の時代にそぐわないと廃止された。本気でやっている人が正当に評価されない社会はおかしい。やってみれば分かることだが、日本一になることはよほど好きで、米作りだけを考えて、生活のすべてをイネ作りに注いだ結果である。その人が、もうバカバカシクテヤッチャられないというのだから、日本の稲作はもうダメだと思った。

 100メートル走で日本一になったら、もう速く走ることは迷惑なことになったので、止めて下さい。こう言われたわけだ。そのことに生涯をかけて挑戦した人はどれほど情けない気持ちになったことだろう。稲づくりという日本で一番大切にされた職業が、迷惑なのでいい加減にして下さいと言われたようなものだ。

 内橋さんは「生きる、働く、暮らす。」こういうことを言われていた。「今日に明日をつなぐ人びとの営みが経済なのであり、その営みは、存在のもっと深い奥底で、いつまでも消えることのない価値高い息吹としてありつづける」 

 農業に生きるほど、働くことが暮らすことに連なっている職業は無いのではないだろうか。人間が生きるという根源にあるものが、食である。そこに関わって、自分の働く職業を構築して行く、農業という生き方。もちろん、一次産業とはすべからく生きることに生に結びついた職業である。

 「生きる、働く、暮らす」という営みにこだわった。巨大資本の下請けと呼ばれる自営業者の本当の営み。東京一極集中の結果、増加する限界集落に生きる生活者。農業自由化の波にもまれる農業者が本来求めるべきものは何か。

「権力を背にした国家に代わって、もう一つの選択肢がある」として「共生経済」を提唱。環境負荷ゼロ、脱原発、エネルギー自給、地産地消の豊かな地平を丹念な取材で指し示した。 その書かれたものを読むたびに、そうかそういう考え方があるかと、目を開かされてきた。

 自給農業を考えるようになった背景には内橋さんの考え方の影響がある。グローバリズムの限界。巨大な資本に対校できるものは経済原理から抜け出る存在になるいがいにない。競争社会の原理に従う農業をしていたのでは、生きると言うことを間違ってしまう。

 まず、自分の食べるものを自分の手で作ってみる。そこに暮らしの基本となる労働があった。この労働こそ、搾取されない。自らの手で、自分の命を生かす労働である。人間はこの労働の喜びを確かめながら生きる必要がある。そう痛切に感じた。

 絵を描くとい観念的なことも、生きるという原点に結びついた絵の制作に出来るのは、食糧を自給するという暮らしがあってこそとの自覚。そういう暮らしを始めることが出来たのも内橋さんという灯台の明かりが方角を示していてくれたからだ。

 果たしてこの先そうした人の登場はあるのだろうか。私の視野の範囲の範囲が狭い為なのか、見渡したところでは見つからない。探し方が足りなのかもしれないが、今の世界を抜け出るイメージを示してくれる人がいない。私の示せるものも、自分が抜け出る方法だけである。

 内橋さんはオピニオンリーダーというのだろうか。亡くなられて正しい方角を示す人がいなくなってしまったような心細さがある。内橋さんの主張から見れば、世の中は悪い方向に流れて行くばかりである。この真っ暗な海を灯台の光さえ無く漂うようだ。

 人間が生きると言うことは、自分らしく働く事のなかにある。それが人間らしく暮らすということになる。内橋さんの方角を忘れること無く、やって行きたいと思う。

Related Images:

 - 暮らし