日本の閉店セールは続く

   



 石垣島に戻った。朝の気温が22,4度ある。冬の気候が小田原とはまったく違う。石垣に来て4年の間に13度まで下がったことが2度ほどあるだけだ。冬は石垣にいると身体が楽である。冬は石垣島で、夏は軽井沢という人がいる。良い選択かも知れない。

 植物は移動できないのだから、田んぼも石垣流を見付けなければだめだ。8月27日に「台光」の種を蒔き、田植えが9月28日。そして11月27日の今が多分出穂期である。田植えから2ヶ月というのはいかにも早い。予想では年末から正月に稲刈りになる。今日のぼたん農園に見に行くのがとても楽しみだ。

 小田原では田んぼに緑肥が撒かれていた。岡本さんと、斉藤さんの田んぼはヘヤリーベッチを蒔いていた。例年より早い生育に見えた。雨が降っている成果も知れない。大豆の収穫を11月25日に行って、翌日が雨だった。今年は良いタイミングでの収穫になった。

 玉ねぎの苗を150本秦野の地場産ズで買ってきた。石垣で植えて、栽培試験のつもりだ。4種類あったので、ソニック。O’K黄。ネオアース。晩成小金。良く育つ奴があれば、それをやってみたい。そもそもこの時期に苗を植えて良いものかどうかもまだ分からない。

 苗を植える前に、もう一度堆肥を蒔いて、耕しておくつもりだ。そして石を拾う。あれだけ拾っても、耕せばまた石が出るに違いない。早めに苗は植え付けてしまいたい。小田原に行った時に苗を買ってくる方式で上手くゆくなら有り難いのだが。

 ジャガイモは11月植えと言うことで、先日メークマンに種芋が色々種類があったので、7種類これも試験栽培で植えてみている。上手く行くものがあれば良いのだが。前回は失敗だった。あれだけネズミがいるというのも良くないのかも知れない。

 ジャガイモはお米の次に好きだから、どうしても栽培したい。一度で良いから石垣島のジャガイモで、ポテトサラダを作るのが夢だ。粒辛子とゆで卵と、リンゴを入れたポテトサラダを作る。砂糖は入れないで、柿を入れるのも良いかも。今年の小田原は柿の当たり年で、どこでも柿が満開の花のような光景だった。

 ハヤトウリがあちこちに転がっていたので、二つ拾ってきた。これをのぼたん農園のどこかに植えてみる。大きな木のそばに植えて絡みつかせるのが良いかと思っている。できるだけ機械小屋のそばが良いだろう。なかなか丁度良い木が無いようだが、湧き水の上辺りが良いだろうか。

  画材はEBEYかアメリカのAmazonで購入していた。今は円安が極端で、買うのを控えている。もう少し円高にならないかとじりじりと待っている。日本の円安は政府の経済政策の結果始まったことだ。円を出来るだけ安くして、日本の輸出企業の経営をよくする。そうすれば、その波及効果が日本全体に及ぶだろうと考えた。

 これがアベノミクスの実際であったわけだが、この考え方がまさに、第3の矢が登場しなかった理由である。通貨を安く抑えるために金利を無くしたのだ。今もそれが続いている。金利が無い国だから、海外から円を買う人が減った。これが投資立国の矛盾だ。

 この間韓国や台湾は、自国通貨を下げることなく、自国の製品を高くても売れるものに買えるように努力をした。安易な安売り商売をしなかったのだ。最先端技術を模索して、その結果新産業の創出が出来た。スマホや半導体などの新産業が創出され、国力が一気に成長した。

 日本政府が安売りしか思いつかなかった理由は、挑戦する意欲の衰退だったのだろうと思う。活力がないつぶれかかった商店には、安売り合戦しか考えられなかったのだ。確かに日本政府の輸出産業の保護は成功し、企業は利益を上げてきた。その利益は国民に回されるはずが、内部留保に収まってしまった。

 意欲のない企業が安売りの結果得た利益が、貯金や投資に回るのは必然だったのだ。新しい産業を興すためには、意欲的な気持ちが大事だ。敗戦後に何とか立ち直ろうとしたような、前向きの活力である。敗戦と産業の崩壊という状況の中、何クソという思いだけが、日本を支えたのだ。

 ところが、アベ政権にはあるのは、企業を守り、企業が助けてくれるだろうという、後ろ向きな気持ちが強かったと思われる。そして、表面的な外交政策だけを振りまいて歩き、日本はアベノミクスで衰退してしまった。歴史に残すべき悪政である。

 ところが、岸田政権になっていかにも不人気だ。その理由がアベの時代が良かったという若い層が多いと言うことらしい。なんとなく想像できる。まるで見せかけだけだから、一見最もらしいのだ。それに騙されてしまったのだ。アベノミクスは買いだとアメリカの証券取引所で叫んだ。全くのウソだったでは無いか。

 その結果起きたことが賃金の低下である。そして労働生産性の低下である。社会は転げ落ちるように格差社会に進んだ。悪循環が始まる。日本人の意欲の低下、新産業分野では世界の流れから取り残されてしまう。IT化ではナンバーカードに見られるように、後進国を自覚せざる得ないことが明らかになった。

 岸田政権が不人気というのも当然であるが、今の日本はアベノミクスの後遺症にあるので、岸田政権は尻ぬぐいが出来ないというだけなのだ。やはり、こういう結果になったことの原因は、日本のアメリカへの依存心であろう。何クソを失った日本には、独立国の誇りを持てなくなった。

 日本のために頑張る。などという事は確かにおかしいことなのだが、戦後の日本の経済成長は、敗戦後の何くそという頑張りだった。日本社会の伝統的な因習や、身分制度や、家制度が崩れた。誰でもが同じスタートラインに立ち、頑張ればなんとかなるかもしれないという、未来の展望に意欲を燃やした。

 しかもアメリカは日本を属国に仕立てあげ、前線基地化して、世界戦略を展開した。例えば朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アメリカは日本の基地から戦争を続けたのだ。それが軍需特需のような結果となり、日本は経済成長を続け、日本発の新技術の産業を生み出すことができことになる。

 しかしアメリカからの属国化を受け入れることで、日本人の持っていた気概が失われていった。いつの間にか、食糧自給さえ諦めてしまい、主食のコメ生産から、輸出可能な農産物を奨励する国になった。食べるものがなくなれば、アメリカが売ってくれると考えている。

 瑞穂の国である国の成り立ちを忘れたカナリア。国の根幹が緩んでしまい、集団としての意識を失ったと言える。日本人は誇りのある百姓の国だったのだ。武士道の国などと言うのは明治アチャラか政府の妄想である。90%が世界一の百姓だったのだ。

 コメづくりは文化であるとも言われる。日本人の大半が農民であり、米作りに従事していた時代、日本人の性格や資質はコメづくりで培われたものだったのだ。赤とんぼを見て懐かしいと感じる感性は、秋の収穫を待つ田んぼの記憶なのだ。そうしたものは日に日に薄れてゆく。たぶん団塊の世代が消えて行けば、消えてゆく記憶なのだろう。

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