朝ドラ、チムドンドンの失望
今はもう「チムドンドン」をみていない。朝ドラファーンとしてはまさかヤー。せっかくの沖縄の沖縄への復帰50周年ドラマが、過去最低線の朝ドラだったことは悲しくなる。石垣にルーツがある黒島さんが主演という事で、どうでもいいとは言い切れない気分だ。
沖縄が好きで、石垣島に引っ越した人間としては、ちょっと馬鹿にされたような気分でがっかりサー。もう少し沖縄のことを学んでほしい。ストリーを作る能力が低いのは止む得ないとしても、下調べも十分にしないのはひど過ぎないか。
以前の朝ドラの小浜島のちゅらさんが沖縄への気持ちを高めたてくれたものだったのに、ざんねん無念。今回は沖縄をせせら笑うような胸糞悪いドラマだった。見ている時間がなかったというのもあるが、やっていてもチャンネルを回してしまう位、気分が悪かった。
ともかく脚本が悪い。いつまで沖縄をコケにすれば気が済むのか。笑いものにしていることすら気づかない脚本家には情けない限りだ。こんな無能なというか、衰えた脚本家しか日本にはいないのか。これも日本人の衰退なのか。寂しい限りだった。
実は何故こういうことになったのかはなんとなく想像がつく。沖縄の基地負担問題や、戦争の問題を避けたかったのだ。特に辺野古米軍基地問題。それが脚本家としてNHKと政府を忖度するという事なのだろう。その忖度が脚本家の腕の見せ所なのだ。おきんわ復帰50年をお祝い事でごまかすためのドラマだから、こんなにひどいものになったのだ。
何しろこの脚本家このドラマを見て、家庭が元気になるようなものを作りたいと言っている。良くもぬけぬけと、統一教会の関連作家なのか。家庭が元気になるどころか、朝から不愉快にしてくれたドラマだ。家庭よりもこれからの人間の生き方を問題にしてほしい。
上野に泊まっているので、アメ横に毎日行く。すごい活気があふれ出ている。この熱量を作り出しているのが、外国から来てくれた人たちだ。店の前で呼び込みをしている世界各国からの人たちは実に興味深かった。翻って日本人の呼び込みの元気のないことが目立っている。アルバイトと命がけの違いだろう。
あの昔のアメ横の魚屋のおっさんたちの掛け声を引き継いでいるのは、世界各国からきている外国人の得体のしれない圧力である。人間としての活力がある。こちらが圧倒される押し出しが良い。日本のアルバイトのお兄さんは、おずおずと恥ずかしそうに声を出している。
日本人のアルバイトでは到底大きな声は出てこない。あの魚屋の威勢の良いおっさんのだみ声はどこにいったやら、なつかしい。進駐軍の供出物資アメ横がいまや、台湾の夜市のようだ。これが日本の戦後史だ。
そう台湾からの出店もある。ルーローハン600円と出ていた。食べたいのだが、食べてはいない。夕飯は食べない主義だから仕方がないか。アラブのお店もあれば、アフリカかなと思えるお店もある。
もちろんアジア各国そろっている。なんでアメ横でチムドンどんかと言えば、あまちゃんを思い出したのだ。あまちゃんは良かったな。あのくだらなさがなんも良かった。という事は大津波の後の日本人の方がまだ元気だったのか。
東京郊外の団地育ちの不機嫌オーラ出しまくりの高校生あまちゃんが、北三陸の田舎町に引っ越して暮らし始める。海女さんを目指すヒロインがなんとも、すとんきょで明るくなって良かった。
宮藤官九郎の脚本が素晴らしかった。若い成長してゆく主人公の“人情喜劇”をとおしてまさに、ヒロインの笑顔が、震災で潰された日本の朝に元気にしてくれた。大いに励まされた。今でもアメ横に行って思い出すと懐かしくなる。
そのヒロイが東京でアイドルデビューを目指すのが、上野のアメ横なのだ。昔のアメ横には東北の匂いがあった。上野は俺らの心の駅だ。井沢八郎さんはそう唄っていた。 集団就職した人たちが故郷の香りを懐かしむ上野駅。すれ違う人から東北弁が聞けた上野。
アメ横がまるで台湾の夜市のように変わった。日本全体がどこかへ向かって変わつて行くのだろう。下り坂国家の中でどのように元気を出すかである。いまさら、沖縄から東京に出てきて沖縄料理店をやるというようなことではないだろう。
そんな使い古された東京出世物語は古臭すぎて魅力的な生き方ではない。むしろ東京から三陸に新しい暮らしを求めて行くのが冒険であり物語なのだ。それをあまちゃんは、アメ横と海女さんを繋ぎながら見せてくれたのだ。上野は新しい時代の街になった。原宿でも新宿でも秋葉原でもダメなのだ。
どんな朝ドラが魅力的なのか、やはり若い脚本家に期待するべきだ。次の時代は次の時代の人に考えてもらう必要がある。30代以下の人に脚本を公募したらどうだろうか。新しい未来が出てくるかもしれない。今回の朝ドラのていたらくを反省してもらいた。