コロナ死者過去最高の343人を記録

   



 新型コロナウイルス感染者の死亡は8月23日、新たに343人確認された。最も多かった2月22日(322人)を上回り、半年ぶりに過去最多を更新した。8月中の累計死者数も単月としては初めて5000人を超え、最多となった。--新聞報道

 今流行しているコロナ株は病原性に於いてインフルエンザと同レベルになった。と、言われているが死者数からみれば、老人にはそうは油断は出来ない感染症だといえる。インフルエンザがこれほど一度に広く感染することはいまだかつてない。

 コロナはいつかはインフルエンザ並になるのかも知れないが、いまのところ感染力が半端ではない。ちょっと緩むと忽ち感染が広がる。感染が広がれば、とうぜん身体の弱い老人が感染して死ぬ。だから一日に343人も死んでしまったのだ。その大半が老人である。老人の致死率だけを見れば、相当深刻な病気なのだ。

 73歳の老人である。若い頃に結核もした。今でも肺が弱い気がしている。コロナにおける基礎疾患がある老人と考えなければならない。できる限り感染は避けなければならない。しかし、できる限り感染を避けたとしても、限界はある。その点が不安で成らない。

 感染のリスクを思うと、嫌になる。東京で電車に乗るときには、恥ずかしながらおずおずと窓を開けさせてもらう。そういうことをする人は余りいない。みんなもう慣れっこになったのだろう。何時下火になるかと期待しているのだが、今のところどうにもならない様子だ。

 幸いというほどでもないが、石垣島はいくらか減少傾向にある。もう少し減ったならば、床屋に行きたいのだが。感染しやすい人はかなり感染したのだろう。このまま減少をしてくれればと思うのだが、まだまだ油断は出来ない。ともかく室内には入らないことだ。野外であれば、それなりに安全である。この違いが一番大きいとみている。

 インフルエンザの場合、一年間の直接死が2000人ぐらいで、関連死までふくめて、1万人程度の死者数らしい。多くて一日30人くらいのものだ。コロナはその10倍である。やはり、老人にとってはいまだ病原性が弱まったとは言え、インフルエンザよりはるかに深刻な病気である。

 しかもコロナが怖いのは、後遺症がある事だ。後遺症についてはインフルエンザでは余り聞かない。若年層にも後遺症はかなりあるらしい。その点でもコロナはなまじの感染症ではない。さらに恐ろしいことはコロナは社会全体の人の心をむしばんでいる点ではないだろうか。

 ワクチンについて、様々な風評が流布されて、宇宙人による陰謀説までまことしやかに流されている。ペストの流行時の魔女狩りを笑えないような事態である。ペストでは富裕層が都市を離れることで感染を逃れたらしい。都市に過密に暮らすと言うことが、限界を超えると言うことなのだろう。

 人間は余りに過密になると、摩擦が増えて耐えがたくなる。そこにコロナである。人心は当然乱れる。経済は下降気味である。日本の開発力は後れを取り始めている。日本社会が変わらざる得ないところまで来ている。しかし、政治は過去に縛られたまま、心機一転どころではない。もう政治に期待する気にもなれない。

 話はコロナから外れるが、古い原発の再稼働、原発の使用期限の見直しなどと言い出した。世界がエネルギー危機だろう。ここでなぜ、再生エネルギーの開発を言えないのだろうか。たぶん、日本には再生エネルギーを新発明する能力がないと、政府自身が見限っているように見える。政府の本音では再生エネルギーが無理なことと考えてしまうから原発再稼働を選択する。

 何故、日本は東日本大震災後、福島原発事故後、再生可能エネルギーを模索できなかったのか。あのときに出来なかったことがいまできるはずもない。あの頃はまだ日本の再生エネルギーのレベルは世界のトップレベルだった。それなのにその後はどんどん世界の流れから遅れた。アベ時代の10年がひどい。

 ともかく、それからのアベ長期政権のアベノミクスの第三の矢と言う奴が飛ばなかった。ここ10年のあいだに、日本の産業で世界を抜きん出るような新しいものは生まれなかった。アニメぐらいだろうか。物語を絵画化する文化は日本の伝統文化である。

 源氏物語絵巻の伝統が生きているのだと思う。日本の古い伝統をよみがえらせるような所に新しいものがあるのだろう。日本の古い暮らしぶりの中に、次の時代の生き方が隠れていると思う。江戸時代の暮らし方は世界の良い方角になるはずだと考えている。

 経済が拡大再生産ではなく、停滞する中でどのような暮らしの楽しみを見つけ出すかである。美しい暮らしなのだと思う。大型の工業的農業は、景色を崩壊させる。景色の壊れた場所に暮らすと言うことがどれほど、人間の暮らしにとって良くないことかを気付く、美しい暮らしの時代に入った。

 里地里山で自然と折り合いを付けて人間は生きて行ける。一人100坪の土地があれば、人間は食糧が自給できる。食糧を自給した上で、あとは好きなことを仕事にすれば良い。そういう競争しない暮らし方を日本は江戸時代の250年間体験した。

 この伝統的な暮らし方をもう一度取り戻すことが、世界の次の在り方
に繋がるのではないだろうか。競争しない生き方である。何が人間のしあわせな暮らし方であるかを日本で実践する人が増えれば、あれもいいものだと、アニメが世界に認められたように、自給的な生活が広がる可能性はある。

 何もアーミシュのように暮らせというのではない。新しい技術も合理的に取り入れて、江戸時代とは見違えるような現代的な自給生活を作り出すことだ。アニメが世界的な流行に繋がったのは、古いものを現代に生かしたからだろう。

 自給生活も同じである。美しい暮らしでなければならない。どこまでも美しいものを求めた結果の、最小限の暮らしでなければならない。難しいことはない。自然の中に入り込み、自然と折り合いを付けて行けば、美しい暮らしが待っている。

 人は一日1時間。100坪の土地で、自給のために働けば、食料は確保できる。その1時間の労働は健康であるための働き方にも成る。大きな機械など無くとも、化石エネルギーを使わなくとも、人間は自給的に生きて行ける。この人間らしい暮らしこそ、次の時代の暮らしだと思う。

 石垣島ののぼたん農園に来てみて欲しい。いつでも誰にでも公開している。一緒にやってみたい人は受け入れている。私は1時間の農作業以外9時から4時まで絵を描いている。のぼたん農園に来てもらえばいつでも説明させて貰う。

 いつまで経ってもコロナは終わろうとしないが、のぼたん農園の暮らしなら、感染はまず無い。野外での共同作業はこれからの時代重要なことになる。人間は人とふれあわなければだめだ。しかし、室内での接触はこれからは避けた方が良い。のぼたん農園の暮らし方が、推奨される時代が来ている。

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