ポテトフライが消えるのか。

   



 ポテトフライというものはとても美味しいものだ。マクドナルドではポテトフライの販売一時停止が言われている。結構な高級レストランでまずポテトフライが出るところがあるそうだ。美味しいのでついついつまんでしまい、肝心のメインの料理を充分に食べられない。何故かポテトフライはそれほど美味しい。

 アイルランドではジャガイモが主食だそうだ。ケルト料理と言えばジャガイモが中心の食材として使われている。ジャガイモ好きにはたまらない国だ。何故、ジャガイモが主食になったのかといえば、英国から搾取された悲しい歴史がある。琉球王国と同じである。

 その昔はアイルランドも小麦を食べていたのだが、17世紀になってジャガイモがアメリカ大陸から入った。するととれた小麦は英国に送られ、ジャガイモを食べることになったのだ。アイルランドは英国に700年も支配されていたのだ。主食を変えさせた大英帝国の横暴。
 
 1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。じゃがいもを主食にしていたアイルランドでは大飢饉が起きた。その結果、アイルランド人口の800万人のうち、20%が餓死および病死、200万人が国外へ移住した。

 ケネディー大統領の先祖もこうして アメリカに渡ったのだ。しかし新天地アメリカでも差別を受けている。ケネディーはカソリックということで差別を受ける。カソリックでアイルランド系の初めての大統領となるが、暗殺されることになった。

 マクドナルドのポテトフライ危機で、食料が色々のことに繋がっている事が分かる。ポテトフライは美味しいものだ。マクドナルドのポテトフライが好きだという人は是非とも、一度自分で作ってみたらよい。あれは本モノのポテトフライトは言えないと言うことが分かる。

 小学生の頃からのジャガイモ好きである。ポテトフライほど油を使わずとも、炒めて食べれば最高である。半生のジャガイモ炒め。これが好きでよく自分で作った。ジャガイモは自分で栽培するといかに美味しいものかが分かるはずだ。

 何故マクドナルドのポテトフライがもう一つなのかと言えば、アメリカで作られて、刻まれて、フライにされて、カナダのバンクーバーから日本に送られてくる。ジャガイモのまともな味がするはずがない。果たして、これほどの食べ物以外のコストがかかるモノが、食べ物として正しいものであろうか。

 身土不二から言えば、まずい食べ物にあたる。食の安全から言えば危険な食べ物と言うことになる。フードマイレージという考えからしたら、ジャガイモより高い輸送価格。日本人が日本で作られた食べ物を食べられない原因は政府の無策にある。ジャガイモの輸入は制限されている。国内のジャガイモ生産農家を守るためだ。

 ところが、こうして調理済みにすれば輸入できる。日本よりも労賃の高いアメリカで生産したジャガイモを、アメリカ人が調理してポテトフライにしても日本で販売できる価格に収まるのだ。日本のジャガイモはどうすれば良いのだ。日本の農家が怠惰なわけでは無い。農産物の生産性だけで判断しては成らない。

 ケネディー家のご先祖が、主食のジャガイモの疫病の結果アメリカに渡ったように、日本人もいまのままでは食べるものがなくなるのではないだろうか。マクドナルドのポテトフライの販売停止は世界中では無い。ケニアが最初で、そして日本だとある。韓国のマクドナルドではポテトフライがあるらしい。

 日本の食料輸入能力が落ち始めている。車を売って、ポテトフライを買うことが出来なくなるかもしれないのだ。中国は世界から食糧をかき集め始めていると言うことだ。遠からず世界の食糧の流通は大きく変わるはずだ。経済力が無ければ食料の購入は出来なくなる。

 ポテトフライが無くなっても、お米があるから大丈夫だと言えるならまだいい。小麦が輸入できなくなる可能性はある。お米があるから大丈夫といつまで言えるだろうか。年々お米を作る人は老齢化している。そして、お米は外国人労働者に頼ると言うことも出来ないほど価格が安い。

 お米は単位面積当たりの生産性は高い農産物である。最も永続性のある食料である。6000年同じ場所で作ることの出来た作物は他に無い。環境を豊かにしながら、食料生産が出来る唯一の主食作物と言える。このお米を主食にしてきた。信仰の対象にまでしてきた日本人である。

 それでも一日2合の玄米というわけにはいかなくなった日本人の食生活。ポテトフライを緊急空輸して貰いながら、お米は食べなく成った日本人。主食が変わると言うことは、何か根本が変わり始めているのだろう。もう一度お米に戻る以外にない国が、日本である。

 お米を作り、お米を食べる。もしこの原点に戻れば、日本人の食糧危機は起きない。政府に期待するのは無駄だし、疲れるばかりだから、危機を感じる人から始めることだ。自分でお米を作れば、日本の稲作は復活する。お百姓が90%だった時代を思えば、食べる人が作るのは当然のことだ。

 スポーツジムに通う代わりにお米を作ろう。デズニーランドに行く代わりにお米を作ろ
う。週一回作業をすれば、自分のお米は生産できる。一万円の経費で120キロのお米が確保できる。実際にこれは行われている話である。やろうと思えば、どこの誰にでも出来ることだ。72歳の私にも出来ていることだ。

 このまま行けば、ビックマックは一回一個しか販売できません。こういうことになる。日本人が肉を食べれるということだって危うくなる。美味しい松阪牛は中国への輸出向けで、日本人の口には入らなくなる可能性が出てきている。石垣牛を食べるのは石垣の人より観光客である。

 何故政府の食糧自給が頓挫しているのか。日銀が物価上昇の目標を2%にしながらも、未だ達成できないのと同じである。政府が財政健全化を目標を先延ばしを繰返しながらも、いつまでも達成できないのと同じである。要するに政府には解決能力がないからである。

 それは日本という国が目標を達成する能力を失っていると言うことなのだろう。特に悪いのは舵取りをしている政府であるが、船乗りである国民も良くないわけだ。舵取りを選んだのは国民なのだ。この点もうあきらめた方が良いと感じている。

 自分でやるきゃない。自分で田んぼを作ればよい。石垣島では田んぼを借りることが出来なかった。理由は様々のようだが、空いている田んぼがあるのに借りることが出来なかった。そこで湧水で田んぼを作る決意をした。だめだというならやってやろうじゃ無いかと言う気になった。
 
 石垣島で一番美しい田んぼが出来上がりつつある。

 - 楽観農園