陰湿差別という悪習
島のように見えるが、崎枝半島屋良部岳である。日本一美しい村ではないか。
日本には歴史的に陰湿な差別文化が存在する。よそ者を排除する。田舎社会の嫌なところとしてよく言われてきたことだ。士農工商という身分制度で差別をしてきた。さらにその下に部落民を置いた。表面的にはなくなったとされる身分制度だが、政府によって新しい上級国民と下層国民という、見えない差別が進行されているようだ。
見えない差別は忖度と人事によって作られようとしている。人事には説明などないのが当たり前だ言う人の文章をよく見るようになった。説明がないから理不尽を推察するしかない。そして忖度をしなかったからだと気付と言うことのようだ。
学術会議の推薦承認はそもそも上から目線の総理大臣の人事では無い。人事であってはならない。その意味が理解できな人が多数派になっているようだ。その結果スカ内閣の支持率が50%を越えている。忖度しない奴が悪いと考える人が増えているのではないだろうか。
男尊女卑思想で女性は家に居ろと言うような差別がある。このほか朝鮮人差別や、沖縄差別も目に余るものがある。若い機動隊員が沖縄の反米軍基地のデモ隊を「朝鮮人、土人!」と罵倒した事件は忘れらるものではない。どこにそうした差別意識が潜在しているのだろう。
アメリカの人種差別の根強さを見ると、差別というものは日本だけのものではなく、人間に伴うものであることを感じる。少し前にコロナ差別のことを書いたが、人間を見てコロナではないかと感じること自体がすでに差別ではないかと感じている。
シュバイツアーは病原菌を殺すことですら、おかしいのではないかと悩んだという。差別は人間には必ずある。問題はそのことを表してしまうか、抑えることが出来るかだと、読んだこともあるが。せめて隠すと言うことはあるが、隠したところで、自分の中の差別は消えるわけではない。差別してしまう側も傷ついている。
ハンセン病に対する隔離政策は、ある意味善意の救済という側面もあっただけに、地獄のような間違えた結果になった。人権無視である。人間がハンセン病患者の通常ではない姿を見て、恐怖のような意識を乗り越えることが出来るのかが重要だと思う。
ある人が、傷を癒やすという温泉に行き、大きなケガで手足を失った人と一緒にお風呂に入って、温泉なのに休まることがなかったと話した。誰しもそうであろうと思う。そうであるとしても、それを受け入れない限り差別はなくならない。
もちろんその人はそういう態度を表したわけではない。何でも無いようにお風呂に一緒に入ったのだが、温泉に入りながらも緊張が解けなかったと言われていた。私の兄にはそれが全くない。兄弟だから分かることかもしれないが、兄には恐怖心というものがない。それは立派なようでもあるが、何かが欠落しているようにも見える。そういう人もいるということなのだから、努力すればそうなれるのだろうか。
パラリンピック報道で、様々な障害を持つアスリートが登場する。このことで障害のある人を見慣れた。見慣れれば抵抗がなくなる。そういうものだと普通に違和感なく受け入れられるようになってきた。これは報道されたおかげで有り難いことだった。
差別をする心を隠すのは必要なことである。隠くしながらも持っているとすれば、差別意識は相手に感じさせてしまうのだろう。でもせめて、差別をしたくない、抑えたい。そういう気持ちでもないよりはましだと思うしかない。どうすれば、差別のない人間に成れるのかは生きている限りの努力目標なのかもしれない。
学術会議推薦をスカ政権が6名だけ理由を表明せず、任命拒否をした。これは差別である。思想信条による差別である。人権の侵害である。こんなひどいことをした、スカ政権が51%の人が支持しているという朝日新聞の世論調査には衝撃を受けた。何故なのだろうか。何故差別政権を支持が出来るのだろうか。
他のことならともかく、学問の内容で差別をすると言うことは人間としてあってはならない行為だろう。にもかかわらずそのスカ政権を51%の人が支持している。そのことが怖くなる。学者が嫌いというわけでもないだろう。学問の科学性の重要度は分かるはずだ。それでもスカ政権を支持する理由ななんだろう。
理由が分からないので、こう言う社会が怖い。不気味な気がする。もうお上の言うことには逆らわない習い性になったのか。次々にスカ総理大臣の汚い人事が出てきている。こう言う人間の扱い方をする事を得意げに語るというのは、今後もこうやるから言うことを聞けと言うことなのだろう。嫌ダ嫌だ。
学術会議は政府に対して、科学的な助言を行う組織である。助言には客観性が必要であろう。政府におもねる学者だけにしてしまえば、ある方向の助言以外出てこないことになる。これは民主主義の劣化である。健全な議論は多様性が必要なのだ。
自民党政権は平和国家日本という選後社会の方角を変えようとしているのだ。そのための障害は、徹底して取り除こうと言うことのようだ。憲法の改定もそうだ。そして学術会議の無力化。
学術会議会長はスカ総理大臣と面談をしたが、なんとそもそも任命拒否の理由を尋ね無かったというのだ。要請文の回答ももらわない。ガス抜きである。勲章候補だろうから、勲章がもらえなくなるのが怖かったのか。忖度なのか。
戦前の軍国主義時代の京都大学で会った滝川事件のときの、教員や学生とは大違いである。軍国主義時代よりも劣る日本人なのか。国民は洗脳されてしまったのか。ソフト独裁の実態を見るようだ。今起きていることを許せば、国民の人権など一切なくなると思わなければならない。
これほど重要なことに、国民が無頓着である。NHKはこの件に関して報道をしていない。起きたことやスカ政権の動向は伝えているが、論評ができないでいる。並列でも良いから、様々な見解は報道すべきである。何も意見のない報道は無意味である上に、危険である。
NHKはスカ政権を忖度しているのだろう。交換条件が受信契約者の自己申告制度に見えるが。公共放送は必要だと思うが、政府から自立していないものであれば、大政翼賛の放送になり、民間放送局よりも良くない放送になる。そうした側面がNHKに出始めているような印象である。スカ人事で骨抜きにしたと言うことのようだ。
誰だって我が身がかわいい。出世がしたいのだろう。人間というものを考えるとき、上に立つものほど、正しい倫理観を持たないと、悪い社会になって行くと言うことなのだろう。スカの人相が日に日にいやらしくなって行く。