朝日新聞の無知による米農家潰し

   

コメの価格が6年ぶりに下落に転じた。農林水産省が先週公表した今年産の9月の業者間の平均取引価格は、60キログラムあたり1万5143円で、前年産を676円(4%)下回った。
 今後も人口減で、国内需要は減る可能性が高い。生産基盤を維持するためには、国際相場と比べて高いコメの価格を引き下げ、輸出拡大などに努めるしかないのではないか。
 今より安い価格でも経営が成り立つコメ農家の育成に、政府は政策の力点を移す必要がある。農地の集約など生産性向上につながる政策に、税金は集中的に投入するべきだ。コメづくりをやめた農地が無秩序に開発されないよう、目配りすることも欠かせない。ーーー朝日新聞社説から
 
 朝日新聞の知性を表しているのが社説であろう。この社説を読むと、あまりの程度の低さに、腹が立つより、悲しくなる。もう日本はダメなのだと考えるほか無い。米の価格を下げて、輸出拡大するなどと、良くも言えたものだ。お前がやってみろと言いたい。
 これでは朝日新聞による米農家の誹謗であり、農業潰しである。社説でこれほど露骨に米農家を責めたことは、米価闘争時代以来ではないだろうか。米農家の問題を議論する事は必要であるが、状況を全く把握できない人間が社説を書くようでは、どれほどか朝日新聞が劣化をしてきたかを示している。
 政府の劣化もひどいが、朝日新聞もひどい。互いに落ちるとこまで落ちてきたようだ。八重山毎日新聞の方が、はるかに見識が高い。生活者の視点を持ちながら、世界を望む思想がある。報道も規模では無い。質の問題である。

 調査報道と言うが、米農家の実情を調査したことのある人であれば、これほど上っ面な提起は出来ないであろう。まず農産物には土地の条件がある。北海道と沖縄では生産費は違う。もちろんベトナムと日本では労賃が違う。米の生産費は努力だけでは解消できないものなのだ。

 米価を決めると言うことはまず、日本の国土での生産費を計算してみなければならない。その生産費に見合うだけの価格にならないのであれば、稲作農家は続けられないのだから、徐々に減少して行くだろう。それは米の消費量の減少と同様な流れでもある。

 日本という国家の方角を大所高所に立って俯瞰すれば、どの程度の稲作が行われることが健全であるのかが出てくる。そして、それだけの面積の稲作の継続をどのようにして、安定的に維持できるかが目標になる。
 又農業者は高度な技術者である。反収自体が倍以上も違うものなのだ。地域差も極めて大きく、気候的影響も大である。こうした高度技術者に相応しい労賃が払われているとは言えない。

 日本の米価が高いというのは米価の背景にある労働費が高いからである。労働費がベトナムの10倍であれば、米価が5倍になるのは、労賃が占める割合が高い一次産業では止むえないことなのだ。加えて、日本の地代の方がやはり10倍は高い。産業として考えれば、日本の稲作農業は国際競争の中では成立できな状況になるのだ。
 朝日社説はやれとの主張なのだから、どうすれば出来るのか、モデルケースを示して貰いたい。もちろんそれを示せる知識が有るわけも無いか。安いほどいいと言う無神経は最低の奴だ。

 日本の米の生産コストが高いことを、単純に米農家の努力不足と決めつけているとすれば、それは無知のせいである。一次産業の生産物はどうしても労賃の占める割合が高い。地域の最低賃金を前提に生産コストは考えなければならないのは農民も生きていかなければならないのだから、当たり前のことだろう。

 しかし、米作農家が急速に減少したのは食べて行けないからである。米農家を今更努力不足となじったところで、そうですかでは止めますと言うだけのことなのだ。文句を言われてまで継続する意味が失われてきているのだ。
 朝日の社説を読んだ、米農家がどれほど悲しみ、苦しみ、そして廃業の選択をするとしたら、朝日新聞は責任を取ってくれるのだろうか。世界の食糧危機は近づいている。その時どんな社説を書くのだろうか。

 また、国内の中でも条件がまるで違うのが稲作である。一ヘクタール一枚の水田と、その100分の1の一畝ぐらいしかない棚田とでは、生産コストはたぶん100倍になるだろう。コストだけの観点で考えれば、中山間地の水田から亡くなるであろう。

 中山間地の水田がなくなると言うことで何が起こるか。もう中山間地そのものがなくなると考えてもいいようだ。ご先祖から伝えられた土地をどう守るかという伝統的な思想によってかろうじて、中山間地の水田は維持されているのが現状である。

 もう、条件不利な中山間地の老人農業は経済とは別の価値観で維持されている。朝日新聞が心配してくれないでも毎年居なくなって行くのだ。何らかの新しい条件を国が考えなければ、地方社会というもの自体が失われて行く。

 確かに、多種多様な農業補助金が存在する。中山間地を守るための方策が様々採られている。それは全く米価とは別の形で、農家を支えなければ成立できないことが明らかなことだからだ。一つの水田が失われると言うことは、100の水田に影響して行く。

 水田は水によって繋がっている。水路が維持できなくなれば、水田は出来ない。水路が水害によって壊されれば、誰かが直さなくてはならない。こういう問題は土砂災害が増加する中、深刻化している。

 私のやっている、小田原久野欠ノ上の田んぼは昨年土砂災害で久野川の崖が崩落した。その崖崩れのまま、臨時の畦を作り一年間耕作をした。ところがなんと神奈川県は一年半が経過して未だに工事の開始すらできないでいる。ここより下流域に暮らしている人にしてみれば、まさにレッドゾーのままに放置されている状態である。

 たぶん日本全国こんな状態なのであろう。神奈川県はまだましなのだと思っている。まっていれば、2,3年の内に直すだろう。しかし、直せないまま放置される場所も無数にあるはずだ。農の会が管理している水路ももう自分たちで直さなければ、そのまま水は来なくなり水田が終わるだろうというところがある。
 
 もう条件不利地域の水田は風前の灯火なのだ。農の会は自給のための組織である。自分が食べるためのお米にはコストはない。だから続けていられるだけなのだ。農家であれば間違いなく無理だ。イノシシの獣害がすごいのだ。

 かなりの費用を掛けて、柵を作らない限り来年は耕作できないという場所がある。この柵を作る費用は、自分たちで出す以外にない。農家なら間違いなく止めざるえないだろう。経済だけで考えれば小田原の稲作は無くなる運命にある。

 農家を潰してしまえば、小田原の農業は終わる。連動して林業も終わる。水田が小田原から無くなれば何が起こるかである。まず水路の維持は出来なくなる。耕作放棄地はさらに広がる。土砂災害も増加する。海は痩せて魚は捕れなくなる。漁業も終わる。
 こうして一次産業を潰してしまって人間は生きて行けるのだろうか。もう危機的状況が迫っている。農業は経済効率だけで考えては成らないと思える。安ければ良いというのであれば、日本の稲作は成立しないのだ。日本から水田が消えるという状況で、さらに追い打ちをかける朝日新聞とはどんな報道機関なのだろうか。
 

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」