橋下徹氏のトンデモ論理
石垣空港待合室の様子。
橋下徹氏はもと大阪知事である。現在大阪都構想の住民投票が行われているので、メディアでの発言が目立つ。先日学術会議問題を、いつもの自信に満ちた表情で語っていた。弁護士という職業にも関わらず、トンデモ論理であったのには驚いた。いかにも維新党創設者である。
スカ政権とはどう繋がろうと画策しているのだろうか。学術会議問題のホロー行動からと言うことなのか。学術会議問題は今になってみると、学術会議を廃止するために、任命拒否事件を起こしたと言うことだった。スカ政権らしい汚らしい、陰湿な手法である。
橋下氏の解説によると、自分が知事時代もいちいちラーメン屋の防火管理者の添付名簿を見るようなことはなかった。総理大臣は忙しいのだから、添付名簿など見ている時間があるわけがないというのだ。同じ添付書類でも、ラーメン屋と学術会議が同列に語られて良いはずがない。
学問に対する畏敬の念など全くない。学問ほど尊いものはないと考えているものとして、情けなく唖然とした。もちろん防火管理者を軽いと言っているわけではない。私も消防署で講習と試験を受けて防火管理者になり、ビルの防火管理者をしていたことがある。
こんなずさんな人が維新党を作ったのだ。そして人気者として世論の方向を左右する発言をしてきたのだ。防火管理者の名簿を知事が見ないでも良いでも確かにかまわない。しかし、学術会議の推薦を外すと言うことはそんな簡単なことではない。
いくら橋下氏でもその程度のことは理解できるだろう。出来ないのかな。そのくらいのことは分かっていると思う。あえてこう言う言い方をすることが世間の軽い動きに影響するとみているのだろう。イヤな奴の世論の形成法だ。
橋下氏は世間をなめている。世間の人はラーメン屋も学術会議も同じ程度の重要性であろうと考えているだろうとなめているのだ。たしかに、ご近所の人にしてみればラーメン屋の方が重要かもしれない。しかし、日本国の未来を考えたときに、極めて学術会議は重要な存在である。
学問に培われた、科学的判断こそ健全な日本社会を作る重要な様相である。政治家だけでは日本の方向を決められるわけがない。またぞろ、敵基地攻撃ミサイルなどとほざいている。これが憲法違反であることが分からないのが政治家である。いや分かりたくないのが政治家である。
学術会議がそもそも出来た理由は日本が無謀な侵略戦争を行い、敗北した反省からである。その反省は同時にアメリカの反省でもあり、日本の統治には学問の科学性を導入しなければならないと言う判断もあったのだろう。
明治時代に出来た、遅れた来た帝国主義国家日本は軍国化一途であった。そして最終的に世界大戦も起こして、敗戦したのである。軍隊の独走を許した日本人全体の責任である。学問も軍の無謀な判断を止めることが出来なかった。止めるどころか、科学的発言も出来ず、むしろ大政翼賛に加わったのだ。健全な学問が成立していなかったのだ。
この敗戦の反省から、日本の民主化には学問の力を有効なものにしなければならないと考え、政府に対して助言を行う機関として日本学術会議が出来た。しかし、それは政府にとって苦言でもある。そのために諸問題に対して、学術会議に十分な諮問を行わなかったのが、政府のやり方だった。
政府は答申など貰いたくないのだ。学術会議がそもそも目障りなだけだ。どうやって廃止した良いのか長年考えてきたのだ。そこで10億円の費用を掛け何の答申もない学術会議と言う悪いイメージ作戦に出た。これが推薦外しに始まるスカ政権の手法だったのだ。
けちくさい話だ。10億円で政府の政策に対して、科学的な助言が行われるのであれば、高いことではない。新たに出来た安保法制が正しい日本の安全保障に繋がるか、是非とも学術会議に諮問を行えば良い。そのための機関ではないか。間違えなく憲法違反であるとその前提が覆されることだろう。
日本の憲法学者の90%は憲法違反と判断しているのだ。政府の行動には科学性がない。科学性がないことが証明されることが怖いために学術会議など無駄だという事言いたいのだ。憲法判断には内閣法制局さえあれば良いと言うことになる。法制局長官は総理大臣が気に入った人を任命できる。
スカ政権の日本国のデジタル化方針も学術会議に諮問をお願いしたら良いではないか。大いに10億円分諮問することが、政府の努力目標であろう。10億円を無駄遣いしているのは政府であって、学術会議無用論に話をすり替えてはならない。
政府は科学的判断は嫌いなはずだ。政府としては取り巻きの企業に丸投げするのが、デジタル化である。こうして利権構造を構築している。コロナに際して、補助金業務の取り巻き企業への丸投げを見ればよく分かる。アベノマスクの受注先はどうなったのだろう。
政治家は橋下氏と同様に正しい論理は嫌いなのだ。正しいことを出来ないから、都合の良いことをしている。コロナ10万円配布よりも、ゴーツートラベルよりも、消費税一定期間免除の方がシンプルで平等である。しかしそれでは一部の得する人がいないので、政府は非科学性で動くのだ。
アンバランスである方が、政府としては支持者をえやすい。一部の人の支持の方が全体の平等よりも好ましい。これが今の日本の政治状況だ。既得権保守が自民党の実像である。科学の結論はどうしても公平に行くだろう。公平には既得権は現われない。
日本学術会議は残さなければならない。もちろん学術会議内部にも民主化が常に要求される。学術会議こそ、民主的な運営を行い、政府にこう言う形で足をすくわれないような健全なものに、日々努力を怠らない機関であって欲しい。
その点日本の学者を信頼している。日本の学者の中には、政治家よりも尊敬できる立派な方が沢山居る。学問を本気で行えば、正しい人間にならざるえないと考えている。学問には忖度もない。科学的な論理だけが力だ。
日本は科学立国以外にない。学術会議の廃止を主張する人は一体何をよりどころにして、日本の正しい方角を定めようと考えているのだろうか。その時々の目先の利益に惑わされるのが人間である。未来を見る力を養うのが科学性である。
学術会議が議論の対象になったこの機会に、もっと学術会議を尊重する政治体制を作るべきだ。