わたしの心の中に潜むコロナ差別のこと

   



 石垣島の暮らしが1年を経過してやっと落ち着いた頃、日本全土でコロナ感染が始まった。小田原に移ると原発事故、石垣島に移ると感染症の拡大。こんな運命だったような感じがした。原発事故から学んだものは何だったか。コロナから学んだものは何だったのか。

  2つとも起こることを予想していた。にもかかわらず起こるまでなにもできなかった。それを仕方がないこととだけ考えるわけにも行かない。こういう人間の社会が崩壊して行くようなことを引き起こしたひとりでもあるわけだ。人間の社会の崩壊は差別と分断によって起こる。

 コロナと共に暮らす社会はこうあるべきだという人間の関係を変えた。同じ釜の飯を食う。裸の付き合いには問題がある。スキンシップはまずい。互いに人間を信頼すると言っても、その人がコロナに感染しているのかどうかは、自身にも分からない。たぶん大丈夫という判断しか出来ない。

 抗体検査でも怪しいところがある。一度感染した一からも抗体は消え、再感染するというややこしいのが、感染症である。インフルエンザで分かるように、ワクチンの有効性は一部のことに過ぎない。こうしたことが社会全体の共通認識になってきている。

 これは人間の関係を変えると言うことになる。友人や仲間、親子とでさえと親しくすると言うことに不安が伴う。不安は自分が受ける不安と相手に与えている不安とが混在している。

 心の中にコロナ差別がある。レンタカーを見ると嫌だなという気持ちが湧く。頭の中の理屈では石垣島は観光客を受け入れるべきだと考えている。ところが、レンタカーを見ると違和感が湧く。コロナを連想するのだ。レンタカーのナンバーは「わ・れ」だからわかる。

 石垣島空港からバスで家に戻ったのだが、バスは立錐の余地のない超満員である。もし感染者がいれば必ず感染の広がるような空間であった。私は窓をできる限り空けた。たまたま人のいないバスに早く乗ったので、窓側の席に座っていた。

 降りようかと迷ったが、何とか大丈夫かと息を詰めて座っていた。この私の感覚は恐れすぎなのだろうか。大半の若い旅行者ははしゃいでおしゃべりを続けている。そうだろう、楽しい石垣島に着いたのだ。これから先の旅程を検討しているのだ。

 運転手さんの脇の若者はバスに乗ってからずーと鼻をかんでいた。何かアレルギーが起きたと思われる。しかし、もしかしたらという不安も伴う。誰も気に留めるようでもなかった。運転手さんがどんな顔をしていたからは見えなかった。

 島という閉じた環境の中で、感染症が広がることへの対応は深刻かつ、それぞれの本質的なものと向き合う異様な空気になった。暮らし方の変化。社会的病ということをどう受け止めるか。自分のこれからをどう生きるのか、自分に問いかける毎日である。

 石垣島に来て散歩する暮らしが始まった。市街地の端から端まで歩いて、一時間の街である。一日一万歩を目指して散歩が始まった。良く歩いた。たぶん通っていない市街地の道はない気がする。やっと街を歩き尽くした頃に、コロナ感染症拡大で散歩が出来なくなった。

 散歩が出来ないのでは何をするか。絵を描くという座ったままの不健康な暮らしの中で、どのように、健康を維持するのか。そう考えて室内で出来る体操を始めた。コロナな感染が広がったから始めたわけではない。その前から予見したかのように室内体操を始めていた。

 運命が予見していたこととしか思えない。八段錦、太極拳、スワイショウと始めていた。なんとそれを続けている間に、これは動禅ではないのかと考えるようになった。そしてコロナが石垣島にまで来た。この話はそうかもう何度も書いた。歳をとってくどくなったのか。

 コロナ差別がある。それは私の心の中にある。人を見るとコロナかなという不安である。それは相手の中にもあるのかもしれない。私という存在が不安要素であるという事実をどう受け入れたらいいのか。人間が互いに不安なものであるという状態。

 一期一会という茶から産まれた考え方がある。社会が危険に満ちていた時代。茶室の中だけは力とは無縁の別世界を作った。茶は危険思想でもある。だから利休は処刑されることになる。コロナ感染者とも怖れることなく同席するのが茶。

 人を受け入れるという事だろう。マザーテレサならどうだっただろう。現代の宗教家はコロナに対してどう対応しているか。現代の宗教は反応すらない。コロナを受け入れ、救済を言う宗教はないのだろうか。韓国の宗教ではコロナを広げたという事袋叩きになったことがあった。

 コロナを受け入れたのはアパホテルだけか。誰でも広く受け入れて、感染して死ぬことにもいとわない。そうかアメリカではそういう風潮があるようだ。大統領の行動がそうだ。社会的免疫の形成と言うことを言う人もいる。これは老人の淘汰と言うことでもある。一つの考え方かもしれない。

 コロナが人口の逆ピラミッドを修正しようとしている一切の対応を放棄すれば、老人は減少して健全な人口比の社会になる。と考えれば、ないことではない。しかし、老人とひとりとしてはそうかとも受け入れることは出来ない。

 だから、経済のためには自粛などするなと言う主張の人を見ると、腹が立つ。老人だけ自粛しろと言えば良いのだ。しかし、小田原に行った。老人自粛をしないで、行って良かったと思っている。私には必要なことであった。同時に農の会にとっても、欠ノ上田んぼの仲間にも、それなりに良かったのだと思っている。

 野外活動であれば、今回の感染症は滅多なことでは感染しない。そう確信しているので、小田原に行った。満員バスでも窓を全開にして、互いが接触はしないようにする。防げるのではないか。危ないか。不安はある。今回の唯一の濃厚接触場面である。タクシーで戻るべきだった。

 石垣島のバスの油断は問題あり。満員まで乗せるべきではないだろう。まあ、言えなかった私。降りなかった私。私自身の問題ではある。何故かああしたとき機敏な行動が取れない。人間の弱さと判断力不足。困ったことだ。

 コロナで差別が起きた。心の中に大きな差別が宿った。病気の人を差別対象にしている。鼻をかんでいる人を私の中で差別している。咳をしている人を差別している。できる限り顔には出さないが、心の中の不安は広がっている。

 私だけのことであろうか。老人一般に広がっていることだろうか。元気な若者らしい若者が老人の的になる社会。コロナ社会の中で人間はどう変わって行くのだろうか。次のコロナが登場しないような社会になるとは思えない。次は、さらにすさましいコロナかもしれない。

 

 

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