日本学術会議推薦から外された6名
政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として内閣府に推薦した法律・歴史学者ら6人の任命について、菅義偉首相が拒否していた。過去、推薦者はそのまま総理大臣が任命するのが通例とのことである。
6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を示してきた。政府の意に沿わない人物は排除しようとする菅政権の意図だとすれば、これはあってはならない間違えである。聞きたくない提言を端から拒否するのであれば、御用学者だけになる。それでは学問の価値が著しく損なわれる。
以下、排除された6名の略歴を転記させて貰う。政府が推薦外しをするような学者こそ、日本の誇りと言えるような学者に違いない。政府が喜ぶようなことを言うのはたやすいことだ。少数派になっても、信念を曲げない6名であろう。
■東京大社会科学研究所教授の宇野重規(しげき)教授(政治思想史)
2013年12月に成立した特定秘密保護法に対し、「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人にも名を連ねていた。07年に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞受賞。
2013年12月に成立した特定秘密保護法に対し、「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人にも名を連ねていた。07年に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞受賞。
■早稲田大大学院法務研究科の岡田正則教授(行政法)
「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人の1人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡っては18年、他の学者らとともに政府の対応に抗議する声明を発表。
■東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)
15年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席。安保関連法案について「歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねない」と違憲性を指摘し、廃案を求めた。
■東京大大学院人文社会系研究科の加藤陽子教授(日本近現代史)
憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人の1人。改憲や特定秘密保護法などに反対してきた。10年に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で小林秀雄賞を受賞。政府の公文書管理委員会の委員も務めた。
■立命館大大学院法務研究科の松宮孝明教授(刑事法)
17年6月、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法案について、参院法務委員会の参考人質疑で、「戦後最悪の治安立法となる」と批判。
■京都大の芦名定道教授(キリスト教学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。
これは安倍一族の置き土産である。菅総理大臣はこれを撤回してもおかしくはない。撤回することで新しい時代を示せるだろう。アベ政治は人事で政治を動かしてきた。内閣法制局長官を強引に慣例を破り、外交官出身に変えた。安保法制の憲法判断を都合良く進めたいからである。
佐川財務局長の栄進も、昭恵夫人関連の公文章削除の功績によってであった。サクラの会の名簿をいち早く削除した機転を利かした職員は、栄転したのではないだろうか。こう言う形で人間を操作するのがアベ政権であった。
学術会議人選も同じことである。御用学者尊重の気風を伝えようとしたのだ。そうして、政府に反発するような学者を萎縮させようとした。こうして、自民党の国会議員はすべからく、安倍の言いなりになったのだ。自分の考えを発言してしまうような人は、逮捕されるようなおかしな人だけになった。
学問の独立に対して、政府が口をはさむことは間違ってもあってはならないことだ。健全な社会の当たり前すぎるあり方だ。それは保守党が政府であろうが、革新政権が出来た時でも同じことである。こんな当たり前すぎることが、着々と変更されてきたことは日本の明治時代への退行現象であろう。
学問に権力が口を挟まない。これは第2次世界戦争の敗戦の反省に基づいている。政府が科学的に正しい判断をしてゆくためには、学問の世界が権力から独立して成立していなければならないという事だ。
学問が政府におもねるようになれば、御用学者だけになり、批判的な考え方が存在しなくなる。考え方は多様であることが重要だ。学問は歴史の反省に基づき、未来からの客観的な視点を持たなければならない。未来が道のものであれば、多様であることは当然のことだ。学問の独立は政府が侵してはならないことだ。
戦後の自民党に問題は多かったが、学問を尊重する節度を維持していた。考え方の対立する学者をこうして人事で差別するようなことは極力避けてきた。それが社会の活性化を産んだのだろう。議会制民主主義は少数意見が存在することは当たり前のことで、排除するべきことではない。
どうして、政府がこうも了見が狭くなってしまったのか。国が衰えるときというものはこう言う事になるのだろうか。余裕がないから、自分と少しでも違うものは排除しないではいられないのだろう。違うものがいない社会は独裁の社会という事だろう。自民党が目指している社会がいかに、つまらない社会なのかが見えてくる。
互いの違いは違いとして認めあう社会が健全な社会なのだ。この許容量が実にアベ政権になり狭くなった。政府と違う考えは、存在すら認めない狭い考えだ。違うものは排除するようになった。それを人事で動かしてゆくという、実にいやらしい手法の政府になってしまった。
しかもその理由を決して説明しない。忖度しろという事である。御用学者でいれば、甘い飴をしゃぶらせますよ。桜の会に出られますよ。同時にこの背景には研究費の配分というものがある。政府の都合の良い。あるいはすぐ経済に結びつく研究にだけお金を出すという事だ。
学問の世界では基礎研究費が不足してきている。しかも政府の都合の良い学者だけが、学士院会員になると聞いている。例えば、農業分野で聞くところでは、企業と連携して農薬の研究や、遺伝子組み換え作物の研究をしていると、研究費も潤沢にもらえるし、出世もできる。
これでは学問にとって必要な研究が十分できない事になる。底の浅い、即物的な学問世界になる。これから日本が進まなければならない、人間力を育てる国は後退することになる。日本が尊敬をされる国になるためには、学問を深める以外にない。学問はそれほど尊いものである。
菅総理大臣には、苦学された経験があるという。是非ともここでアベ政権以来の継続されている忖度政治の流れを変えてもらいたい。その勇気がないとすれば、菅政権への期待感は一気にすぼむ。6人を排除する見せしめが、良い効果を生むと思ったら大間違いだ。
学問ほど大切なものはない。人間の希望だと思っている。学者達も何とか政府に押し流されずに、この忖度政治をはねのけて欲しい。人間の尊厳を踏みにじるような人事に負けないでほしい。