アベノマスクはお断りしたいのだが。
私の好きな台湾はコロナウイルスを撃退した。中国はコロナウイルスとの戦いに勝利したとして、経済活動の再開になった。今後の状況は注目に値する。両国に学ばなければならない。日本はもう1週間自粛すれば、感染が治まってくる。そう期待したい。
沖縄県石垣市は16日、石垣島内で新型コロナウイルス感染のクラスター(集団感染)が起きた可能性があることを受け、市独自の緊急事態宣言をした。17日から全市民に2週間の自宅待機を求めている。
国から小さいと評判の悪い、アベノマスクが送られてくるらしいがお断りしたいものだ。もっと使い勝手の良いマスクが、簡単に自分で作れる。どこに言えばマスクを断ることが出来るのだろうか。ごみになるとは言わないが、使わないで捨てるのでは、もったいない精神に反することは分かっている。
断捨離の身としては、どうすれば不要のものを家に入れないか悩んでいる日常である。かなり必要なものでも、何とか買わないで済ませられないかいつも悩むのだ。そしていつか必要と思われる物まで捨てている。ただでさえものを捨てる罪悪感で辛いのに、明らかに家に入れたくないものが、国から送られてくるのではぞっとする。
売っていたとしても絶対に買わないマスクだ。今もっと良い布マスクが石垣島では売られている。皆さんが手作りしている。それは500円ぐらいはするが、私の作るものと変わらない。アベノマスクは大分安そうだから、1枚100円ならマスクを止めて現金200円にしてもらえないだろうか。イヤそれも面倒なら、10万円給付の際に100200円にしてもらえないだろうか。いいや、200円は政府に寄付するので無視して貰ってもいい。
私は長年布を持ち歩いている。古いものは100年前のものもある。捨てがたくて持ち歩いてきたのだ。別に保存して置くほど希少な布というわけでもない。それほどではない布を捨てられないのだから困る。確かにいらないものではあるが、いい布をみるとたまらなく手元に残して置きたくなる。それでも泣く泣く大半を断捨離した位なのだ。
その手織りの布でマスクを手作りして使っている。これは中々いい。顎までかぶるようにした。ベンケーシーのようだ。石垣でもマスクをしなければ、歩けなくなっている。県知事の玉木デニーさんは日々手作りのマスクでおしゃれだ。奥さんが作られるそうだ。アベノマスクとは大違いだ。
子供の頃、家が生地屋をやっていたことがある。子供の私の選んだ生地がよく売れるという伝説があった。それで、どれが売れそうか良く聞かれた。それが不思議に当たったのだ。当時はまだ、生地を購入して家で洋服を仕立てるということが当たり前に行われていた。昭和30年前後の話だ。既製服というものがほとんどなかった時代。出来合いの服は古着屋で売られていたのだ。
生地を購入した人が、仕立ても依頼することがある。するとデザインを決めて服を作る、そういう仕事が家の商売だった。おばあさんが始めたらしい。その頃は銀座にお店があったので、銀座洋裁店という名前だった。いかにも明治時代の婦人という、すごい活動的なおばあさんだったらしい。有名人では淡谷のり子さんやコロンビアローズさんや画家の向井潤吉さんがお客さんだった。
戦争から戻った父が、生きるためにおばあさんと一緒にその生地屋を始めたのだ。父は闇で、生地を仕入れてくる仕事をしていたらしい。織物の産地を周り、生地を探しては都会に持ってくると言うようなブローカー的な仕事だったのだろう。元々は柳田国男の門下生で民俗学を目指していたのだが、戦争での中断と戦後の生活苦のために学問をあきらめた。
そんな環境で育ったので、布地というものには愛着ができたのだ。その上に家にはミシンが沢山並んでいて、大勢の人が縫っていた。岡村さんという女性の洋裁の名人がいた。つい最近まで付き合わせていただいていた。その人は子供好きで、子供の私にミシンの扱いを教えてくれた。
足踏みミシンでまっすぐに縫うあるいはカーブに縫う。面白くて遊んで覚えた。案外そのミシンが役に立った。ズボンを自分で作ったこともある。それでついつい、良い布を準備しておきたくなった。ヤフーオークションでは私としてみるとすごい布が二束三文で売られている。何かに使えるとついつい買ってしまったのだ。特に白地の絹布は絵も描けるので、大分購入した。さすがに今は買わない。
そこでマスク作りだ。マスクをつくることは実に簡単なものだ。簡単だけれど顔の前に付けるのだから、スゴク目立つ。女性はアベノマスクは使わないのではないだろうか。ご立派なお顔だちのアベさんでもお似合いとは言えない。いくら非常時の戦時中でもモンペのおしゃれをしたくなる。贅沢は(素)敵だったらしい。
イヤ配られるのはかまわないけれど、約束したとおりどこでもマスクが手にはいるようにして貰いたい。確か3月になれば売られているはずではなかったのか。こう言う緊急事態で重要なのは政府への信頼感である。出来ないことは言わないことだ。今アベ氏を責めても始まらない。攻めているような文章に読めるが、グチだと聞いて貰いたい。
みんなで心を合わせれば、一辺にウイルス感染は沈静化する。政府がいい加減なことをしていると、国民が自粛で心を合わすことが難しくなる。それでもマスクはいらない。どこに言えばお断りできるのだろうか。国民にはいらないという権利はないのだろうか。
そういえば公明党の進言で10万円くれることになったのはありがたいが、これは首里城の再建資金に寄付させていただく。沖縄のアイデンティテーを考える上では首里城は必要である。間違いなく、首里城は琉球王国が存在した記念として伝えて行く必要がある。いつの間にか、琉球は日本の属国だったというようないい加減なことが歴史になる。
コロナ騒ぎの最中でも、石垣島の自衛隊基地の建設は今日も進んで行く。カンムリワシの営巣時期の今も休まずブルドーザーが動いている。私の感触では名蔵方面でカンムリワシが増えたような印象である。逃げてきているかもしれない。
自衛隊是非の住民投票の裁判は、コロナで延期になってしまった。辺野古の米軍基地予定地は今日も明日も埋め立てられて行く。明らかに政治が間違っている。知らない間にテロで細菌兵器が使用されれば軍事基地など全く無意味になる。暴力では暴力を防ぐことは出来ない。軍備の意味の変化を自覚すべきだ。