非常時で重要なことは食料の安定供給。
新型コロナウイルスの世界規模での感染拡大が深刻化する中、各国で小麦やコメなどの食料の輸出を制限する動きが広がっている。非常事態で一番重要なことは食糧の安定供給である。日本の食料は大丈夫なのだろうか。
コロナとの戦いを第三次世界大戦であるとするなら、日本は食糧を増産しなければならない。食糧不足に陥る可能性がある。又、食糧が不足してから想定外では困る。戦争で一番大変だったのは、最前線の兵役よりも戦後の食糧不足だったと、常々父は言っていた。
お米の作れるところはすべて作らなければならない。何しろ日本は食糧自給率38%の国なのだ。これから世界での食料の輸出余力が失われてゆく可能性がある。もし海外から食料が来なくなれば、ウイルスの蔓延以上に大変な事態になる。
緊急事態であれば、第三次世界大戦であれば、まず食糧の安定供給である。そのためには日本では稲作である。お米が充分にあれば、後は何とかなる。お米を増産すべきだ。今ならまだ間に合う。世界が食糧不足に陥る前提で準備すべきだ。
食糧不足になれば途上国の食糧不足が深刻化することになるだろう。人口急増の国々ではさらに悲惨なことが起こると思われる。日本も食糧支援の努力が必要になる。そのためには増産できる田んぼにはすべて作付けすべきだ。政府がふさわしい価格で買い取るのであれば、農家は間違いなく作付けをしてくれる。まだそれだけの農家が残っている。
幸いなことに日本には稲作というすばらしい農業が存在する。休耕されている水田を今年の作付けに間に合うように政府が指示をしなければならない。今ならまだ間に合うギリギリの所だ。政府には検討を是非ともお願いしたい。今年は本気で稲作をしなければならない年になる。心より農水省にお願いをしたい。
稲作は環境を豊かにする農業である。循環型の農業が可能な作物である。感染症時代には重要な食料生産方法になるはずである。新型ウイルスの登場の原因は、気候変動、化学物質の多量の使用、人口の増加、大規模畜産等が考えられる。
人間が地球環境を極端に改変したことが、新型ウイルスの出現につながっている。もう少し戻り、江戸時代の日本人の暮らし方を再認識しなければならない。肉をほとんど食べない。お米中心にした発酵食品の暮らしである。
日本の国土で3000万人が暮らすことが出来た。この江戸時代は方法は世界の参考になるはずだ。作物の品種改良や農業技術の進歩で、倍の6000万人は循環的に暮らせるはずである。
幸い日本は6000万人ぐらいまで減少するという予測である。その当たりを目標にして、日本列島という類い希な豊かな場所に幸せの国を作ることが世界の良い事例になるのではないだろうか。それが国家の品格というものだ。
6925万人というのは昭和11年の人口である。戦前の世界である。83歳の今のお年寄りが生まれた時代はまだ6000万人台だったのだ。この頃にはまだ健全な農業が存在した。
食料輸入などしないでも暮らすことの出来た時代があったのだ。ところが国は世界に広がる帝国主義に対抗して、軍事国家を目指し、軍備の拡張大陸への進出と政策を誤る。そのためにみじめな戦争の末に敗戦となる。
それが明治の日本帝国を目指した帰結だったのだ。競争主義の末路は常にそうしたものである。必ず勝者と敗者が存在する。もう一度日本が原点に立ち返り、この他に例を見ない豊かな国土を生かして自給的に生きることではないだろうか。
もし6000万人の人が自給的に生きるとすれば、一人100坪だから、0,033ヘクタール。200万ヘクタールの農地があれば可能だ。実は日本の耕地面積は減少したとは言えまだ440万ヘクタールある。実は日本人全員が自給すれば、日本の国土で日本人は生きることが可能なのだ。
この自給は一日1時間働けばいい。後は会社に行こうが絵を描いていようが、それぞれの生き方をすればいい。こんなに豊かな社会は無いはずである。江戸時代の3000万人の安定はそうした暮らしであった。江戸時代が良い時代というのではないが。参考にすべき良いところもあったと言うことだ。
明治維新で帝国主義を目指した日本は、江戸時代のすべてを悪いものとするほかなかった。そのために江戸時代に開発された、循環型の農業技術も古くさい役に立たないものとして否定されて消えていった。この自給のための技術をもう一度見直すことが大事である。
これはペシャワールの会がアフガニスタンで行った灌漑事業のように、江戸時代の技術を現代の資材を利用しながら利用すると言うことだろう。ビニール資材を利用しないで出来る農業技術はある。大型機械を利用しないでも可能な農業技術はある。
油紙や障子を使って、苗作りがされていたのだ。まだかろうじて、そういう昔のすばらしい農業技術を記憶されている方は各地におられると思う。その土地土地におられるお年寄りから、お話を聞いておくことが大切である。
自給のための食糧生産は商品経済とは関係のないものだ。どこの国もまず、主食作物は作る。主食食料を貿易の取引材料にしてはならない。今回のウイルスはどうも得体の知れないところがある。どんな展開をするか過去の事例では計り知れないことが起こるかもしれない。
お米を作って無駄になることはない。もし幸運にも余れば食糧支援に回せばいいだけだ。世界の様子は今後変わって行くことだろう。