私人昭恵夫人の桜推薦ワクてなんなの。

   


 いつまでも桜を見る会のことを言っているのはおかしいだろうという論調がある。国会ではもっと大事なことがあるだろうというのだ。そうスキャンダルをいつまでも国会でやってないで、建設的な事を議論しろ、というのは確かに正論である。

 それなら、説明責任を早く果たして、建設的な国会にする義務は総理大臣に一番ある。アベ氏が曖昧なままだから、話が長引いているのだ。桜の会のいちゃもんは止めろという人は、清浄な国会のためにアベ氏に説明責任を果たせと言うべきだろう。

 何もかも曖昧なまま終わらせているのが、アベ政権である。この説明をしない態度が日本をダメにしている。日本が前に進めないのは,責任をとろうとしないアベ政権が悪いからだ。そこであえてサクラ問題を書く。

 総理大臣夫人の昭恵氏は私人であると閣議決定されている。インチキ小学校の名誉校長を引き受けてしまうなど、いろいろ差し障りがある人だから、公人という訳には行かなくなった時に、無理矢理閣議決定した。ところが、私人であるはずの昭恵夫人に,桜の会招待推薦ワクがある事が分かった。こういうのを2枚舌というのだ。

 年が明けたら、すがすがしい気分でいたいのにまた思い出してしまう。桜を見る会の招待は功労賞なのだそうだ。長年地道に社会貢献した方々への慰労賞なのだそうだ。だから芸能人や著名人は人寄せパンダと言うことだろう。そもそもこういうやり方で人を動かそうと言うことが大嫌いだ。

 公人昭恵夫人らしい姿である。昭恵氏は電通にいた人である。人間の動きには実にさとい人だ。自分の役割をいやらしく自覚している。名誉校長になる効果をよく知っている。自分の桜の会への推薦がどういう効果を上げて、どんな結果になるかを計算している人だ。総理大臣がするわけには行かないバックアップをしているつもりなのだろう。

 実は昭恵夫人から推薦されたであろう人を知っている。推測だし、個人としては素晴らしい人なので、具体的には何も公表はできないが、推薦されて効果のある人である。どんな効果があるかと言えば、推薦状を自分の所のパンフレットに入れたくなるような人と言うことだ。

 その人は昭恵夫人の支持があることを会う人ごとに話していた。総理大臣夫人が応援してくれているからもう大丈夫だと話していた。その方はボランティアで素晴らしい活動をしていたのだが、とても苦労されていた。問題も抱えていた。だから昭恵夫人が頼みの綱ような気分だったのだろう。その気持はよく分かったが、危ういことだと話していた。

 良いことのために大いに励まされたのだから悪いことでは無い。むしろ良かったわけだ。しかし、この昭恵夫人ルートというのは何なのだろうか。こういう意味不明の権威的なお札を付ける、気持ちの悪い解決法はまずくないだろうか。問題が出なければいいがと思っていたが、結局困ったことになってしまった。

  例えば、昭恵夫人は農業が好きということになっている。農の会の活動は、とても素晴らしいので一日訪れるとする。新聞も来るだろう。小田原市の担当も来るだろう。それで宣伝になり、活動はそれなりに目立つ。話題にもなる。しかし、そういう意味不明の応援はいらない。地道な活動をゆがめかねない。

 昭恵夫人の善意はいいのだが、これがゆがんで偏っている。善意というのは歯止めが無い。幼稚園生が、教育勅語を暗唱する姿を美しいと感じてしまうと名誉校長まで引き受けてしまう。こうした総理大臣夫人の曖昧な推薦の効果の方が怖いのだ。怪しげな人物も群がるわけだ。右翼や宗教やえせ科学が関係してくる。お墨付きの欲しい人が関わりを持つ。

 アベ後援会ワクよりも、昭恵夫人推薦ワクの方が、さらに気持が悪いことになる。この奇妙な権威のようなものが、日本で一番あってはならないものではないか。それが善意であれ、正しい行いであれ、あってはならない気味の悪さだ。

 総理大臣は公務員であるが、その奥さんは何だろう。奥さんは奥さんのほうの世界で活動すればいいのである。総理大臣夫人の役を公人として広げたのは安倍内閣が初めてではないか。どうも気色悪い。

 肩書きを重視するいやらしさである。昭恵さんは総理大臣では無いのだ。内助の功はあるのだろうが、単純に夫人ナノのだ。別人格である。たまたま総理大臣夫人である。それをありがたがってはならない。トランプ夫人は自身で「世界で一番嫌われている女」こう言ったそうだ。イヤ日本では2番目ですと言いたいところだ。

 昭恵夫人がこんなお化けになってしまった理由は、日本人の劣化が背景にある。有名人と写真が撮れることをありがたがる恥ずかしさ。昭恵夫人を忖度する人のおかげで、できない無理が実行されている現実があったのだ。アベ記念小学校の設立である。名前は違うがそっちはもう忘れた。

 著名な詐欺師がアベ推薦ワクの招待状を、詐欺行為の宣伝ビラに利用していた。これは明らかに悪事だと分かるからまだいいが、昭恵夫人を利用した忖度行為は、払い下げに関わる忖度になり、公文書の書き換えになった。出先の官僚の自殺者まで出した。

 実際の社会では,この気味の悪い社会がカビのように広がってきている。日本はそもそもそういう嫌らしい社会だった。それがすこしづつ払拭されてきたと思う矢先、アベ政権が一気に復活させた。日本の身分制度である。封建社会では無く、意味不明の権威による差別が広がっている。

 だから、桜の会に招待されたくなってしまうのだ。そちら側に自分がいることの確認行為である。所属の確認である。こうして桜を見る事のできない、この枠には入れない人に不思議な圧力をかけているのだ。

 日本中にプチ昭恵夫人がいることだろう。この気味悪さで動いて行く日本に戻って行くことは何よりイヤだ。能力主義と言いながら、実は尾ひれで動いている日本社会がみえてくる。昭恵夫人桜ワクは健全な社会の力がしぼんできている表れなのだろう。

 皇室の利用も同じである。象徴である天皇を重要であると考えるならば、一切権威づけで利用しないことである。皇室の園遊会の報道など、やらないことだ。招待された人個人の問題として納めることが大切である。そうそう写真撮影も禁止だ。
 

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