シーサー作りをやる
作ったシーサー。崩れそうなので、乾くまで口の中に新聞紙を入れて保っている。
石垣の家の玄関にはスイジ貝のあるモザイク画を制作した。毎日の出入りの時に気分がいい。スイジ貝は火防の貝である。ただ置いておくのではもったいない。モザイク画の中に入れることが出来れば、すばらしいことだおもって、スイジ貝入りの大理石モザイク画を制作した。
前から考えていてまだ果たしていないものがもう一つある。屋根の上にシーサーを乗せることである。シーサーは石垣の家の10%ぐらいには置いてあるだろうか。石垣らしくてなかなかいいものである。様々な個性があり、石垣らしい魅力となっている。石垣の家にも笹村アトリエらしいシーサーを作るつもりでいた。
アッシリアのライオン像
シーサーのことを考えてみると、どうしてもアッシリアのライオン像にたどり着く。ライオン像は神を意味する。現地で見たことはないのだが、大英博物館などで見たことがある。すばらしい造形である。
動物彫刻としては傑出していると思う。あの迫力がシルクロードを伝わり、何千年経て沖縄のシーサーになったと思うだけで,悠久と言うことを感じる。中国にも獅子像はある。しかし中国の獅子像で感心したことはない。中国では神格化しようとしたら、竜と同じで幻術的になってしまった。
シーサーは魔除けである。そもそもは家の入口の地面に1体だけ置いたらしい。いまは屋根の上に阿吽の2体が置かれているのが一番普通である。日本の狛犬は中国の獅子像に比べると、素朴感がありよいものもある。それでも彫刻としては物足りない気がしてきた。
日本人は立体に弱いのではないかという気がしてくる。野外彫刻は神社の森陰ではどうも合わない。やはり陽射しの強い場所で、陰影が目立つようなところで形が出てくる。日本人の床の間芸術的な弱さを、狛犬では感じてしまう。
その狛犬が、沖縄では強い陽射しの元魅力的なものに生まれかわれたように思える。あの神社の森的なものから、各家庭の陽射しの強い玄関先に置かれることで、生気を取り戻した。立体には陰影が重要だ。
それが石垣の漫画シーサーである。全く冗談のような魔除けである。宗教から解放された愉快な世界観。何でもありの中で、自由の翼を得たシーサー。家の壁にサザエさんがあって、大丈夫な石垣の気風なのだ。当然シーサーも漫画シーサーである。
シーサーを琉球石灰岩で彫りたいと考えていた。良い石がある。それが少し風化してきた感じがいいと思っていた。それで石垣に来てからいつも石を物色していた。昔から石は好きだった。石置き場をただ見て歩くだけでも面白い。石置き場なら一日いられる。
しかしいい石はあるのだが、彫ってダメになりそうなのだ。とてもアッシリアの石像には石自体が及ばない。当たり前のことである。それで、ここは石垣の土で作れないか探していた。テラコッタのシーサーである。
石垣島には陶土があるとは聞いていた。石垣は地質学的に実に複雑な場所で、粘土も存在する。その粘土でシーサー作らせていただけるところが見つかった。それが川平焼き凜火と言う陶芸工房である。35センチまでのシーサーを作らせてくれる。
石垣の土で作らせてくれるというからやってみたくなった。まず、1月7日に一日かけて作った。しかし終わりまでは出来ない。8日の午後にもう一度出かけて、終わりまで作った。焼き上がりは3月半ばらしい。
アッシリアのライオン像がシルクロードをたどって、日本まで来た。良いものの勢いはそれくらいつよい。砂漠の乾燥した空気のしたで、くっきりした陰影のあるライオン像。
そうした力強いものである形であって、シーサーはのどかで、ほのぼのとしていて欲しい。あっけらかんとしているものを作りたいと考えた。漫画シーサーとは少し違うが、迫力あるようなシーサーではアトリエには合わない。
高い場所に置くので、大きさはできあがりで30センチは欲しい。石垣に土は17%縮小するそうだ。これには少し驚いた。35センチで作って,29センチぐらいだ。屋根の上で何気ないくらいの大きさがいい。
好きなシーサーはあるので、参考にさせて貰った。ところが全くそうはならなかった。2日間全力で作ったが思うようには行かなかった。自分で作ると別ものになる。スゴク下手でいいのだが、焼き上がりが心配である。粘土の調子から言って、乾く間に割れそうな気がする。かなり心配な作りになってしまった。それで疲れた。絵を描くより疲れた。
粘土状態の作品も写真を撮ってはあるのだが、タブレットが壊れてしまい、パソコンに上げられない。上げられるようになったら載せるつもりだ。