石垣市防災訓練、大津波想定7分避難
石垣小学校屋上からの眺め
9月1日の防災の日に合わせて、石垣市では各自治会ごとに避難訓練が行われた。私の家は石垣自治会なので、石垣小学校に避難をする。石垣小学校は私の家から北東に坂道を400メートルほど上った場所だ。午前10時に津波の発生と、避難の呼びかけが聞こえてきた。家の中では良く聞こえなかった。
防災訓練があることは分かっていたので、外に居て聞いていてすぐ避難を始めた。小学校まで5分ぐらいの所なので、ゆっくり歩いた。慌てない方がいいかと思ったし、地震でけがでもして早くは歩けないときのことも考えた。
それでも正門のところで6分で到着した。津波は7分で到達するので、急いで屋上に向かわなければならない。体育館の前に受付があり、ここで名前を書かなければならない。小さな子供が数名列の先に居て、ひらがなで名前を書くのに相当時間がかかった。
津波が7分で来るというのは、沖合に津波を確認する設備でもあるのだろうか。あるいは地震が起きてから7分で来る津波が想定されているのだろうか。それより早く来る津波は無いと言うことなのだろうか。7分の根拠はどこにあるのだろう。
日本海で起きる地震は津波到着が早く8分のことがあったとある。地震の起こりやすい場所があり、震源からの地形により、一番早く来る津波の想定が、石垣島の場合7分と言うことでは無いだろうか。
名前を私が書くとには8分は過ぎていた。つまりここで流されたことになる。名簿作りは避難所にとっての最重要であることは分かるが、名簿作りは屋上で行うべきでは無いだろうか。屋上に何分で到達できるかが大切だろう。
これが訓練で無ければ、名前を書かないで屋上に向かうことになるだろう。もしここで名前を書かせるとしたら、大混乱に陥る可能性がある。屋上では特にやることがあるわけでは無いで、みんなが来るのを待っていた。
全体で言えば、到着は真ん中ぐらいだったのでは無いだろうか。屋上は4階にあたるので、お年寄りの中には上れないから、と校庭までの人も居た。そういう人をどうやって屋上に上って貰うのかも課題かもしれない。
屋上には100人を超える人が上ったと思う。屋上は1000名が限界だろう。自治会の範囲には当然1000人を超える人が居る。その場合さらに坂の上の方に逃げた方がいいと言うことも考えなければならないだろう。7分歩いて、まっすぐに行けばアートホテルの当たりだ。アートホテルを目指した方がいいのかもしれない。
家から普通に歩いて、屋上まで7分という所では無いか。そのつもりで避難すれば、一応津波が来るまでにはなんとか避難はできそうである。7分歩いて、まっすぐに行けばアートホテルの当たりだ。まずはアートホテルを目指した方がいいのかもしれない。
もう一つの問題は途中のブロック塀が倒れているだろうと言うことだ。ブロック塀に注意しながらの避難になる。学校の前の道路は両側からブロック塀が倒れている可能性があるとすれば、車道を歩かなければならない。車が避難に使われるとなると、この路は相当に混乱するのでは無いだろうか。
以上のことが確認できたことは、わたしの防災訓練として良かった。ブロック塀の状況はまず変わらないだろうから、いざとなったときにかなり歩きにくい路を、避難ザックを背負い、小学校まで真っ暗な中でも行く事を想定しておきたいと思う。
小学校が一杯のようなら、そのまま坂道をアートホテル目指して歩いて行く。明和の大津波を想定すると、石垣小学校の屋上でギリギリの所だとおもう。一杯のようであれば、そのまま坂を登っていくほか無い。
石垣自治会で200名ほどの参加者だったそうだ。意外に少ないものだと思った。石垣市全体で2200人が防災訓練に参加したそうだ。5万人の人口で少ないようだが、23人に1人が参加したと言うことになる。やはり、本当に津波が来たら、坂をそのまま歩けるだけ登って行くことかもしれない。今度7分でどこまで歩けるのか確認してみるつもりだ。
私の家から車の避難はできない。狭い路をブロック塀が倒れているに違いない。車で避難することは考えないでいた方がいい。明和の大津波ではそばの桃林寺は倒壊し、流されたという。山門にある仁王像は島の反対側の名蔵湾に打ち上げられたという。