「移民 棄民 遺民」安田峰俊著

   

 
 国と人間の関係を考えるときに、移民、棄民のことを考えることはとても重要だと思う。日本では外国人労働者を受け入れている。その労働環境には問題がある。日本人の大半の人が知っていることである。問題があるが、労働力不足が深刻と言うことで、問題は曖昧に見ないことにされている。
 
 国とはどういうものなのだろうか。明治大正昭和と帝国主義の富国強兵政策で人口増加が政策された。しかし、農村の疲弊は農地の不足になり、移民、棄民が行われる。この時代の農村部の貧困は江戸時代よりひどいものであった。それをごまかすために、江戸時代の飢饉が宣伝されるが、それは異常気象による飢饉で、明治以降の農村の貧困は軍事費の増加による。
 
 親戚にアメリカのサクラメントに移民した人が居る。その人が昭和35年頃に日本に里帰りしてきた。話だけだった移民した人と言うことが現実になった。北朝鮮に戻った友人がいた。東京の松陰神社にあった靴屋さん家族である。三宿の朝鮮学校に通っていた。昭和40年頃だから、最後の帰還事業の時だったかと思う。
 
 子供の頃の藤垈には満蒙開拓に行った家族があった。子供を連れて大変な思いをして逃げ帰った話を聞いた。樺太から引き上げて三軒茶屋で鞄屋さんをしていたSさん家族とは今でも連絡がある。国策に翻弄される人間の暮らし。
 
 国と言う暴虐は、一人で歩き出し、国民というもの食い尽くす。国家というものは本来国民の安寧な暮らしのためにあるものである。ところが、お国のためと言う錦の御旗を建てて、国民をむさぼり食うときがある。
 
 「移民 棄民 遺民」ではベトナム難民のこと。ウイグル弾圧のこと。台湾という、所属の定まらない国のこと。等がルポルタージュ的に取り上げられている。大体の内容は考えていた範囲のことである。どこにも行ったことはないが、想像していたことと違いはない。
 
 ウイルグル難民のこと、中国政府の過酷な弾圧のこと。そして、日本の右翼勢力のウイルグル問題利用。このブログにもウイルグル問題を取り上げろ。と言うコメントが繰り返されている。アベ氏の仲間達がやっていることだ。この著者はこのことに関連して訴えられたが、裁判で勝訴している。
 
 ウイグル問題の政治利用によって、ウイグル難民が翻弄されている現実。中国との敵対関係をことさらに強調したい勢力が日本には生き残っている。中国のことをシナと呼ぶような人たちである。
 
 中国の脅威を強調すれば、日本の再軍備が可能になると考えているからである。日本を、明治の日本帝国に戻したい人たちがいるのだ。そのためには、中国は極悪非道な独裁国家でなければならない。悪意の計画でその拡張主義と弾圧政策を強調しようとする。
 
 そういう人たちが不思議にアメリカの一国主義を批判しない。批判しないどころか、お友達であることを自慢げに吹聴している。尖閣諸島を東京都が購入すると石原慎太郎が記者会見したのもアメリカである。
 
 正義のアメリカとは今や言えないだろう。はっきりとアメリカさえ良ければいいと主張しているのだ。このアメリカ桃太郎に従うキジか、猿か、犬なのか。中国批判も正しい。それなら、アメリカ批判もしなければならない。アメリカは現状日本の宗主国である。日本は本質としてはアメリカから独立はしていない。
 
 アベ政権が辺野古米軍基地を強行するのは、日米安保条約に日本はアメリカは自由にどこでも基地を提供する。その代わり日本が攻められたときには守ってくれる。とあるからだ。
 
 国とは一体何なのだろうか。鵺のように増殖し一人で歩き出す。国というものを自分の野望に都合良いときに持ち出す。そして人間を踏みにじる。一人の人間というものは、国とは別の存在である。一人が幸せであることが、最も大切なはずである。
 
 カンボジアの人たちと、フランスのナンシーで知り合った。フランスにはベトナム人、カンボジア人は多く居た。フランス語がしゃべれる人が多かった。カンボジア人にはポルポト政権から戻ってくるように、戻れば政府で優遇すると言われていると言っていた。本気で戻ってはならないと引き留めた。その後一気にカンボジア難民が急増した。
 
 ベトナム難民は北朝鮮政府からの難民なのだ。カンボジアで起きたことと同じ事が、勝利した北ベトナム政府によって起こされたのだ。
 
 日本は危ういところに立つ。アジアの一国であることを忘れて、アメリカの虎の威を借りる存在になっている。この国のゆがみが日本人の暮らしにまで、今後及ぶと思われる。
 
 国家主義とは。ナショナリズムとは。一人の個人の観点からもう一度考えてみたい。
 
 
 
 

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