小田原の一番美しい場所「舟原ため池」

   

カキツバタが咲いて溜池の静寂に華やぎを加えた。ため池には水が入り始めた。冬の間水が全く来なかった。雨が少なかったという事もあるが、どうも上の方で久野川の方に水の方向を切り替えて、流してしまう場所があるのではないかと思われる。私有地の中という事もあって、本当の所の調査は出来ないでいる。こんど、久野川の方から、田んぼの水が溜池に来るようにする許可が得られた。これで冬の間も何とか水が保てるのではないだろうか。去年は完全に水がなくなり、せっかく増えてきたアブラハヤが死んでしまった。ドジョウは何とか生き延びてくれただろうか。カキツバタもかなり弱ったのだが地面は湿っていた状態だったので、何とか生き延びた。秋までに株が大きくなったら、株分けして広げてやりたい。その時、肥料を入れてやる必要もあるかもしれない。カキツバタは植えてから、一年半は経過した。その前に一度植えたものは弱ったような小さな株で、全部枯れてしまった。次に送ってもらったものは丈夫な立派な株だったので、順調に活着した。根付いたら、一年で倍の大きさにはなった。年々倍になってくれれば、5年もしたら、上の池はかなり見ごたえのあるばしょになるだろう。私が来れる間にそこまで広がって来ればいいのだが。
これはミツバツツジである。立派な木だ。呉れるという人がいたので、冬の間に田中さんや渡部さんが移植してくれたものだ。ミツバツツジはなかなか図かしい癖のある木だが、上手く移してくれたおかげなのか、今年もう花がきている。舟原の周辺の山は昔はミツバツツジがいくらでもあったという事である。久野の山を歩いていて、この木に出会える喜びがある。ずいぶん山に戻したのだが、残っている木は少ない。これは将来溜池のシンボルツリーになるのではないだろうか。昔はあって、今はない木が松である。舟原の地とに溜池のことをお聞きすると、昔は溜池に松があったと言われる人が多いい。たぶん松と池の関係が良かったのだろう。松を植えれば昔の姿が再現されるかもしれない。お茶畑もあったそうなので、お茶の新しい木が良く出てくる。草刈りの時に残している。お茶も少しはあればいいかと思っている。お茶を庭の垣根にして、自家用にしていたのが、久野の農家である。そういう意味では椿もそうだろう。椿も風よけと実をとるために、家の北西側には植えられている家が多い。舟原ため池が昔の姿に戻ることが一番である。
これはタラの芽だ。結構ある。今が摘み時だが、誰も今のところ取らないようだ。綺麗になったので採りにくいのかもしれない。昔はタラの芽のようなものが周囲にはたくさんあって、競争で採取したのではないかと思う。山ウドもかなりある。これも草刈りの時には刈らないように残している。山菜で言えば、山椒が沢山ある。山椒もいくらでも出てくる。大きいものだけでも残しておきたい。環境が維持されるためには、美しい花が咲くこと、山菜のようなものが取れること。そういう楽しい事がなければ、環境が維持がされることはない。管理者がいない形で、ビオトープで維持が出来るなどという事はあり得ないことだ。忽ちゴミ捨て場のような荒れ地になる。里山の環境というものはその場所で暮らしている人たちが、有難い場所という意識が生まれなければ、誰もかかわることが無くなってゆく。私が来れる間に、そういう場所にできれば、その後は自然に管理が継続されるのだろうと思っている。
今は里地里山協議会が小田原市から管理を任されている。本来であれば、舟原集落の環境委員が管理すればいいと思っている。私は3年間環境委員の時には仕事として管理をさせてもらった。しかし、人が変わればそういう事もたぶんなくなる。舟原の人たちの大きな庭になれば素晴らしいと思うのだ。こんなに美しい庭のある自治会はないだろう。やはり管理主体がはっきりしていなければ、草刈りだけでも継続されることはない。私が来れなくなれば、美しい久野里地里山協議会にお願いするほかない。昨日の草刈りにも親子で来てくれた人がいた。また、いつも管理を黙ってしてくれている人もいる。こんな調子で上手く維持が出来れば、いいのだが。相当に良い場所になってきているので、もう少し整えれば、誰もほっておけない場所になるはずだ。一緒に楽しんでくれた、子供が今度ご飯をここで食べたいと話した。まさにこれだと思う。次の世代につないで行くことが出来なければ、自己満足で終わってしまう。

 - 地域