手摘みのお茶作り

   

5月3日と5日は農の会のお茶摘みだった。私は時間があったので、3日も出たいと思ったのだが、笹村は5日の予約で3日は出てもらっては困ると言われてしまった。それくらい、申し込みが多かったという事のようだった。以前のお茶摘みでは延べ100人という事もあった。今回は75人くらいの参加になっているのではないだろうか。徐々にお茶の活動が復活している。ここ8年間頑張って継続してくれたお茶の会の人たちの苦労思うと、頭が下がる。毎年美味しいお茶が飲める。他所の畑のお茶を飲むととても物足りない。去年の秋、台刈りを4分の1しているので、今年位の人数が今の限界であろう。お茶の芽の大きさはちょうどよい一心3葉というところであった。この日程を決めるのも、大変なことである。2月にもうお茶摘みの予定を立てなければならないのだから、よほどの天候の読みと運が必要である。今年はかなり芽が伸びてから、相当寒い日があったから、霜でやられたかと思ったのだが、意外に大丈夫だった。農の会のお茶畑は坊所川の脇で霜には強い。お茶はいつものように、田中さんの所で製茶をしてもらった。お茶の分配は5月11日になる。
全体では240キロの収穫である。4分の1が台刈りで全く詰摘めない状態としては、まあまあの状態ではないだろうか。75人という事は、一人平均3,2キロを摘んだという事になる。75人と言っても小さな子供から、初めての人まで入れてだから、こんなものかもしれない。私は8,4キロ摘んだ。過去最高が12キロだ。頑張れば今年も10キロまでは摘める感じがした。2時半で終了になったので、そこで終わりとなった。製茶は60キロ単位でしかできないので、この後やるとしたら、30キロでやってくれる久野製茶組合の方に行かなければならない。お茶畑に残る葉は10キロぐらいしかない状態になったので、ちょうどよい終わり方だった。アルバイトをお願いすると一日仕事で10キロが手摘みの量だそうだ。私にもそれくらいはまだ摘める体力がある。2時半に摘み終わり、お茶を工場に運んだり、機械小屋への片づけをして、3時半にはすべて終わった。このくらいが良い加減かもしれない。
今年のお茶摘みも気持ちの良いものであった。準備をしてくれたお茶の会の人たちが、とても良く配慮をしてくれていて、安心して茶摘みが出来た。始めてお茶摘みをやる人もいる。農作業を初めてという人もいる。そうした中で、作業を滞りなく進めることは事前準備が大変である。参加している人はあまり気付かないと思うが、あれこれ準備は気苦労なものだ。お茶の会の人が道具を機械小屋に取りに来た時に、メモを見ながら何度も道具をチェックしていた。駐車のことや、トイレのこと、大勢でやるという事は違った苦労がいるものだ。その苦労が見えないところまで行かないとならない。そこまで行かないと楽しいお茶摘みにはならない。何にしてもお茶を摘み残さないことが大切である。人数が集まらず、お茶が摘み切れないと、悲しいお茶摘みになる。同時に人は居るのだが、自分のお茶が摘み終われば、それで帰ってしまう人ばかりというのも、寂しいお茶摘みだ。みんなで協力して、農の会のお茶畑の管理をするという事だと思う。初めての人は、商売としてのお茶摘みに参加したと思っているだろう。
農の会の活動が気持ちよく継続できたことは、誰かに負担感がないという事だ。自分が頑張っているのに、他の人がやらない。こういう思いがあると長くは続かない。参加する人にはさまざまな人がいるし、思いも違う。一生懸命にやる人ほど、他の人に不満が出がちだ。そこで、参加を記録して、参加のレベルで収穫を分配するという案が出てくる。いかにも一見公平という考えである。ところがこういう考えを取り入れたところは大体にその後もうまく行かない。上手く行くところは、参加者を信じて、みんなで育てゆく気持ちがある所だ。実際に年数がたてば、分かってくるものだ。分かって去る人もいるが、たいていの人はやってくれている人に感謝の気持ちを持つようになる。それが人間の集まりだと思う。できる人が出来るだけのことをする。できない人はそのことを感謝をする。できる人は人間の成長をする。一つの人間修業なのだと思う。沢山そういう人を見てきた。いかにも偉そうでおかしいが、お茶の会の人たちもそういう確かな成長をしていると思う。だから、ただただ気持ちの良いお茶摘みが出来た。あと何年出来るかはわからないが、お茶が6,3キロ摘める間は参加したい。6,3キロ摘むと1,2キロのお茶になる。つまり月々100グラムの自分のお茶が飲めるという事になる。これが自給の原点だと思う。

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