プラスティックごみは燃やすしかない。
マイクロプラスチックの環境汚染が問題になっている。プラスチックごみが細かくなり、海に漂っている。これが海の生物を危機に陥れている。たぶん海だけでなく陸上もプラステックごみが土壌を変え始めているのではなかろうか。畑をやっていると場所によってはそれくらいプラステック類が土の中からいつでも出てくる。プラスチックごみはリサイクルという事が言われる。現実にはリサイクル可能なものは全体の数パーセントにすぎない。しかも、市町村は分別をさせて途上国へ再生可能な資源という名目で輸出しようというのだから、とんでもないことが現状行われている。ごみが人類を滅ぼすという事は刻々と現実化し始めている。原子力廃棄物が処理方法がないにも関わらず、原子力発電が推進されてきた。今の自分が良ければ構わないという思想であろう。すべてのものは廃棄処理方法が見つからない限り、生産すべきではない。プラステックなど使うべきではなかったのだ。当面プラステックごみは燃やす以外ない。燃やしてしまえば、地球環境にこれほど垂れ流されることはない。
プラステックごみを燃やすとダイオキシンが出るという事が言われる。生ごみなどの塩分量の多いいごみと混ぜて燃やすからダイオキシンが余計に出る。プラステックだけを燃やしてもダイオキシンの生成は少ない。木材を燃やしても、石油を燃やしてもダイオキシンは生成される。昔の囲炉裏の暮らしでは、眼をやられたり肺を病む年寄りが多かった。室内で木が燃やされて煙がでる。煙というものは一定身体に悪い。プラステックごみを燃やすとダイオキシンが出るということが、浸透した。必要以上に問題化されたことで、その後のプラステック処理がゆがんだ形になってしまった。プラステックごみは一切燃やされないことになった。そして環境にそのまま廃棄されることになった。これを解決するためにはプラステック類を作らないことである。しかし、これほど世界に広がってしまったものを直ちにやめることはできない。そうであれば、当面燃やすことの方がマシな処理になる。私は燃やしてしまうので、環境破壊者のように言われることがあるが、燃やそうが分別しようがプラステックを使う人はすべて同罪である。
リサイクルなど現状では絶望的である。レジ袋の有料化など無意味な茶番である。どれほどの効果も期待できない。政府の対応は気休めと言い訳程度のことだろう。レジ袋を禁止して紙袋にすという所も出て来てる。プラステック類はリサイクル出来ない系統のものの方が多い。その上にリサイクルされた、プラステックごみだって、結局のところ海に流れてゆく末路にあるのだ。焼却場で燃やすとしても、ダイオキシンを含んだ灰は結局埋められている。生ごみと併せて燃やされるのは、塩分が混ざるので良いことではない。それくらいなら、ごみ発電である。プラステックを中心に、燃やして発電すればよい。そうした発電システムを行っている製紙会社もある。紙にならない木くずと、プラステックごみとを併せて償却することで、その熱で発電した電力が工場のエネルギーになる。
最悪のやり方が、埋め立て処分である。現状ではこれが多い。分別して集められて、それが埋め立てに回されている。同時に輸出である。輸出されて、どうなっているのか行く末はわからない。海に流れ出ている可能性もある。中国ではプラステックごみの受け入れを禁止した。そうしたら、今度はタイに輸出しよう、インドに輸出しようという事らしい。それをやっているのが、行政のプラステックの分別ごみだ。こんなことなら庭先で燃やした方がマシなくらいだ。ダイオキシンが有名になり、プラステックごみに関して、エセ科学的な判断が広まった。放射性廃棄物と同じ流れである。どれほど少量でも問題があるとされて、木の葉のたき火さえダイオキシンを危惧する人さえいる。もちろん燃やしていればいいのではない。しかし、現状ではその方がマシなのだ。プラステックが簡単に分解できるまでは、プラステックを必要としない社会が良いのであるが、そうも行かないのであれば、消却を前提にした、可塑剤の工夫をしたプラステックの生産をすべきだ。