国民党が出来たのだが、
希望の党と民進党の合流が決まり、国民党が出来た。大塚耕平氏が代表という事だ。「国民民主党はまず、国民主権を守る政党である。国民生活を向上させる政党である。そして国民経済を発展させる政党である。しかし、これらの課題は民主主義的な手続きを重んじて民主的な運営をしなければならない。」このように書かれていた。それならば、財務省の国民を欺く公文書の改ざんには徹底して糾弾することだろう。財務省は民主主義を破壊したのだ。しかし、国民党には自分が国会議員でありたい。より影響力のある政治家になりたいという気持ちだけが見える。国民の為を本当に考える政治家が国民党にいるのだろうか。国民経済とは何だろうか。言葉遊びにしか聞こえない。新しい政党が、このように目標を抽象的にしか示せない。情けないことだと思わないのだろうか。これが野党第2党というのか、新保守勢力になろうというのか明確にすべきだ。そして、この機会に無所属になった面々は、さらに意味不明な存在に見えるのだが。
希望の党は何だったのだろう。玉木氏が反省の弁を書いている。排除した結果が悪かったから、といって何も変わってはいない。民進党の方は残骸のような状態。両党とも国民の為の政党としては成立はしていないように見えた。その合併したものが国民民主党である。国民党というとやはり、孫文。蒋介石政権しか思い出さない。国民のことは考えない政党という意味なのであろう。政治家が国民と呼ぶときの都合の良い使い分けが反映しているのだろう。様々な野党が新保守政党を作るという意図での、烏合離散する。小選挙区制で自民党の圧倒的優位という中で、何とか逆転する道の模索。野党議員としては、主義主張はともかく人気あった一瞬の自民党の小池百合子氏にまで便乗せざる得なかった。もし、次の動きを考えるのであれば、冷静に小池騒動のを総括する必要がある。憲法に対して明確な姿勢がない政党では困る。東京でも、愛知でも、大阪でも、似たようなことが起きた。今も維新の党の残党のような人たちはいる。この3つに共通しているのは、中心になる人物がいて、その中心人物が注目を浴びることを得意にしている点であった。
国民党は9条改定を主張するのであろうか。日本の政治状況で最も重要な課題が憲法である。新党ができるのであれば、9条に対する立ち位置を明確にしないのは、ごまかしとしか見えない。玉木氏のブログの記事を読んでもその点は何も見えない。地方議会であれば、右翼的であろうが左翼的であろうが、国政とは違うので、共生社会を目指す、明るい未来というような、抽象的なことでも済むのかもしれない。国の政策との対立が問題にならない範囲であれば、収まるのだろう。過去の石原右翼都知事や、美濃部左翼都知事のことを考えればわかる。国の政策という事になると、このやり方は今のところ通用しないという事が証明されたのだろう。大阪だけが核武装するという訳にもいかない。愛知県だけが消費税無しという訳にもいかない。この小池騒動で生まれた希望の党が、民進党と合流する。すでに両党とも勢いを失い、どうにもならない事態であろう。前原氏に大きな責任がある。前原氏も、小池氏も右翼的体質にもかかわらず、野党的ポーズをとらなければならない自己矛盾がある。
日本という国の現状は、国の根本となる憲法の安全保障においても、安倍晋三氏のように軍隊を持つという考えもあれば、現行憲法の平和主義で行くという考えに分かれている。この相容れないほどの大きな違いがある以上、小選挙区制は良くない結果を生んでいる。自民党内にも、自民党憲法だけを正しいとする人ばかりではなかろう。自民党憲法についても、党内議論すらできない状況である。自民党が自浄作用を持てなくなっている。政権党が一つの考え方以外を排除していていいのか。自民党内の憲法の議論を見ればわかる。石破氏が嘆くように憲法議論というものがまるでできない。そして肝心の憲法議論がないまま、会長一任という事になる。この自民党党内の事情に逆らえば党内での立場は無くなる。役職など貰えなくなる。安倍夫妻の忖度支配を誰もがおかしいとは思っている。ところがそれに逆らう事はすでにできない体制になっている。全ては小選挙区制が日本の政治状況に合わないという事なのではなかろうか。