財務省偽証事件、不起訴
財務省の虚偽答弁問題では佐川局長の指示で文章の改ざんが行われたことがはっきりした。理由は安倍氏と森友学園との関係に忖度をしたから以外には考えられない。佐川氏は国会で、文章は法に基づき、すでに破棄され存在しないと嘘の答弁を繰り返し主張した。嘘の答弁でアベ政権を擁護し続けた。そして国税庁長官に昇進した。佐川氏のウソ答弁については、麻生大臣も、安倍総理大臣も、認識していたはずだ。たぶん安倍総理の支持と考えた方が自然だ。80%の日本人が現在そう理解している内容なのだから、まさか近くにいた、両氏が佐川氏の忖度答弁を想像できないとは思えない。国の形をぐちゃぐちゃにする大事件である。しかし、この事件は法には一切触れないという検察の結論である。法律的にはもう仕方がないのかもしれない。しかし、佐川氏の国への裏切り行為の国与えた損失は大きい。国会を無駄に空転させた罪は国民への裏切り行為である。忖度させるように誘導したアベ夫人の高慢ちきな態度には許しがたい気分が膨らむ。何が家庭内野党だ。
ところが、最近の世論の空気はもうこの問題は終わりにして、早く前向きな国会論議をした方がマシだということになっている。忖度はどこにでもある。程度の差だけだという感覚。総理大臣夫妻が忖度されるのは当たり前だろうという世間の空気感。世間とはそういうものだ。別段犯罪とは言えないという結論に近づきつつある。論点は次に移り、再発防止策さえしっかりとすれば、いつまでも議論している必要がないという空気である。このだらしなさが日本人の良いところであり、ダメなところだろう。根に持たないというか、諦めが良過ぎる。しかし、アベ政権はこうした国民の性格を巧みに操作している。この操縦術がアベ政権の特徴である。そして、いつの間にか日本社会に特権階級が形成されつつある。戸籍に氏族とか、平民とかいう記載の違いはないが、緩やかながら決定的に特権階級が固まりつつある。明治の御代に逆戻りである。政治はお上に任せておけば、悪いようにはしない。このような、権力の監視に全く無関心な層を巧みに形成している。ソフト独裁への道である。
法律に触れない新しい形の支配こそ、アベソフト独裁政権の姿だ。日本人の飽きやすい性格をうまくコントロールしたやり方だ。これはコンピュターを利用した、商品の販売戦略から来たノウハウに私には見えて仕方がない。自動車を上手く販売してゆく為の仕組みである。これは徹底して研究されている。同じやり方多で、選挙で候補者の当選を請け負うやり方あるそうだ。業界3位の広告代理店でその仕事をやっていた友人がいる。だから、選挙は広告代理店同士の戦いでもあると彼は言っていた。彼は衆議院選では何勝何敗だ。都知事選では電通に勝った。などと言っていた。もう、40年も前の話である。今は見えない形でもっともっと研究は進んでいるはずだ。法に触れなければいいという事で、徹底した世論のコントロールの手法が研究されている。ソフト独裁はコンピュター独裁と言えるのかもしれない。ソフト手段でとか、にこやかハードにとか、情報を打ち込むと具体的手段が示されているのではないだろうか。
財務省にはそのアプリがあるのではないか。どこか外注なのか。だから、佐川氏は法には触れない。福田氏も法には触れない。国民はすぐ気分が変わる。忘れるまで時間を稼ぐ。何かタレントのスキャンダルでも状況に応じて公表する。ガス抜きである。世間は生贄さえあればいいのだ。ローマ帝国のコロッセウムの剣闘士の戦いを見せて置けば満足だ。国民の気分は完全に支配下に置かれている。こうして日本は特権階級の存在する3等国に成り下がってゆく。トランプアメリカのちょうちん持ちが、ちょうどよい役回りだ。誇りを失った日本人。すべては拝金主義から来ている。お金以外の価値観を失った民族がどのような結果になるか、目に見えている。まだ、間に合う。簡単なことだ。アベ政権に1票を入れないだけのことだ。何の暴力もいらない。目を覚ませばいい。それだけのことだ。これで、安倍特権階級を終わらせることができる。日本がどこを目指すのかは、ともかく安倍政権を終わらせてからのことだ。