アベ政権の教訓
アベ政権がやっと終わりそうだ。あと一押しである。この馬鹿げた、戦後最悪の政権を日本の間違った選択として、教訓にしなければならない。アベ政権が誕生以来、この政権には今までとは違う違和感を感じてきた。その理由はなかなかわからなかった。だからアベ木偶人形劇団だとか、鵺が後ろにいるとか。いろいろ想像してきた。確かに日本会議のような、憲法を改定して軍隊の設立を目指す人間である。想像の行き付いた結論が、ソフト独裁を目指している政権という事だった。ソフト独裁というのは周囲に忖度をさせて、誘導する独裁である。ここが気持ち悪く肌感覚として、耐えがたかったのだ。安倍氏は保守主義者の元締めのおぼっちゃまである。周囲を無言で従わせるようなところは生まれついての物だろう。自分の考えというものを表明しない。お殿様の様な立ち位置で、良きに計らえ的に周囲に有象無象の取り巻きを集めて、好き勝手にさせているような空気だ。それが、結果として忖度政治を産んだ。バカ殿様に気に入られるために、草履を懐で温めているような、官僚家臣団の形成。
小選挙区制の失敗である。競争主義だけでは限界にきている日本という事だ。アベ政権は民主主義というものをないがしろにした。民主主義など建前だけにしておいた方が、経済の活性化のためには有利だとしてきた。どれほど面倒くさいようでも民主主義しかないのだ。加計学園のように、地方の活性化をする為には、少々強引であっても首相の権限を強めて実行しなければできないという考えであろう。15年も申請していたができなかった獣医学部の新設が、アベ政権のお陰で岩盤規制を取り払ったという事だ。このやり方でなければ、経済の活性化など出来ないという主張である。その極端な事例が、中国の国家資本主義であろう。独裁的な権力が政権にあるから、巨大なダム事業などでも住民の反対が少々あろうと、強引に進められる。地域が有機農業に進むとなれば、その地域全体が否応なく有機栽培の村になる。
中国方式の資本主義は圧倒的な成長になるだろうと思ったのは、もうずいぶん前になる。中国に自然養鶏のことで指導に行った時だ。土地の利用目的を国が自由に扱えるわけだ。頑迷な抵抗勢力というものが経済の展開の邪魔になるという事がない。これでは到底日本は競争に負けると思った。しかも地域のまとまりが日本より強い。地域ごとの競争で発展を促す政策。20年前に初めて中国に行ったときにはその農村の貧しさはかなりの物であった。しかし、次に行ったときには日本に追いついて来ていると感じた。そして3回目に行ったときには、日本は追い越されたのだと思わざる得なかった。民主的な資本主義というものは、独裁国家の資本主義との競争には、同じ方角では勝てないという事だ。それがアベ政権のソフト独裁資本主義の登場なのだろう。日本はやたら中国の悪口、問題点ばかり指摘して、中国から学ぶ姿勢というものがない。それは明治政府の脱亜入欧の後遺症なのだろう。アメリカの配下になることは、率先して行いながら、中国を一段下に見たいという虎の威を借る狐である。
日本は日本という経済地理の条件において、日本的な経済の展開を、自信をもって行うべきなのだ。一番にならなければいけないという馬鹿げた競争心から、一番に成れない現実が日本人の自信を失わせた。一番どころかびりだろうが構わない。自分が自分であるという事が大切なのだ。日本人が日本人であるという事が大切である。アベ政権の間違った競争主義の結果が忖度ソフト独裁を生み出した。真綿で首を締めるような訳の分からない支配体制が、日本全体がアベ政権に向けて身を投げ出させたのだ。従う事の方が自分の有利であるという価値観だ。仕事が創出されれば、自分の就職に有利である。そうした、国民の当たり前の気持ちを、企業の利益主義に利用した。ところが企業というものは世界での競争に勝つためには日本人というものを大切にするだけではない。利潤を求めて違法でないとなれば、生産地を海外に移す。外国人労働者も使う。タックスヘブンも行う。自衛隊まで、海外の日本企業の社員の保護に派兵する。
アベ政権の失敗は、日本人の失敗である。これを機に日本の政治の民主主義と、立憲主義を取り戻さなければならない。