鳥インフルエンザと獣医学部
国家戦略特区での獣医学部新設を目指し、学校法人・加計学園と、競合していた京都産業大の教授をこの春に退職した大槻公一氏が朝日新聞の単独インタビューに応じた。鳥インフルエンザ研究の第一人者として2006年に京産大に招かれ、約11年間、獣医学部新設を目指して準備にあたってきた。そして加計学園が認可され、京産大は除外された。大槻教授は京産大の鳥インフルエンザ研究所の所長をされていた。大槻教授の見解は鳥インフルエンザ騒動の時にずいぶん読ませていただいた。北海道大学の喜田教授とお二人が冷静な見解を出されていたので、ずいぶん気持ちが助かった。学問のありがたさをつくづく感じた。その京産大の獣医学部新設の要望では、内閣府には合う事すらできなかったそうだ。獣医学部は学問的な意味で選択されたのではないことをうかがわせる。鳥インフルエンザ時でもお二人がどれだけ学問的に正しい見解を出しても、世間はある種のパニックに陥り、聞く耳を持たなかった。神奈川県では警察まで動き出し、現場をめちゃくちゃにした。何しろ、自治会で笹村の養鶏場は大丈夫なのかという、意見が出たそうだ。
この背景にあったのが、製薬会社の思惑である。WHOを巻き込んで世界的なスキャンダルにもなった。これは獣医学と、一般の医学との考え方の違いという事もあったのだと思う。人間の場合は万が一という徹底した予防が配慮される。鳥インフルエンザではまことしやかに人ひと感染が、始まるような報道がおこなわれた。日本の報道は科学部の力量が低いのではないかと思う。社会は不安を増幅させて、いつの間にか人間の方のインフルエンザの問題になった。製薬会社が利益の為に誘導的活動を行った。その結果、今は禁止になった薬まで備蓄された。現代人は万が一の不安の中で生きている。諦めがない訳だ。決まり切った死ぬことさえ受け入れることができない。鳥インフルエンザの問題が学問的な未開分野であった。基礎データーも不足して、それがデマにつながった。デマだったことは10年が経過して明確になっている。自然界においては鳥インフルエンザは何万年も繰り返されて来たことで、特別なことではない。にもかかわらずなぜ野鳥が今もいるかである。これを研究してゆくのが獣医学であろう。口蹄疫の問題、ヤコブ病の問題、動物由来の感染症が社会の不安を煽っている。きちっとした学問的なアプローチが必要なことははっきりしている。
獣医学部で本格的に、家畜の感染症を研究しなければならない。現実の社会では大規模畜産というものが、当たり前のように広がった。その安全性に関しては、研究がないといっても良い。一か所に鶏が何10万羽もいることで何が起こるかである。豚が1万頭一か所にいたら何が起こるかである。そうした研究が不足している。今の畜産の姿は農家畜産の発想のまま、規模が無限大に拡大されたようなものである。そこでは病気を薬で予防的に使うことが当たり前とされている。大規模になればなるほど、薬は予防的に使われる。人間であれば、100万人に一人が影響を受けるようなワクチンであっても問題になる。ところが、家畜であれば1000頭に1頭問題が起きていても許容範囲となる。消毒薬、予防薬、少々影響があるとしても、一年以内で肉になるとすれば、問題ないのが家畜の世界である。牛が問題になるのは少し長く飼育されるからに過ぎない。人間とは違う薬の使われ方が畜産ではされている。予防的に抗生物質の投与がされているのが現状だ。それが耐性菌の問題につながっている。
大槻教授は鳥インフルエンザの研究の第一人者である。もし、政府が主張している通り、家畜由来の病気の研究を重視して新設の畜産学科を設立するのであれば、当然京産大の大槻教授を軽んずることはできないはずだ。少なくとも実績のない加計学園が優先されなければならない理由はない。大槻教授も何故京産大が軽視されたのか、加計学園が優先されたのか、この点疑問を持たれているようだ。やはり安倍氏の友人である加計氏の存在が気になる所である。確かに、愛媛に地方再生の為に獣医学部を作るという事は一つの考え方である。私の発想であるなら愛媛大学に獣医学部を作る。大槻教授や喜田教授を招へいし、獣医学の研究センターにする。日本の現状としては地方であろうが都市の大学であろうが、大学は経営の危機を迎えている。どうしても必要なものであるなら、愛媛大学を強化する方が良い。一部の政治の力で、アベ案件、アベ友人案件として、議論抜きに進められたとすると、不自然という事になる。共通の土俵で開かれた議論がなかったところに問題がある。大槻教授の研究の方向が製薬会社の方角と違うという事であったとしたら、さらに問題は根深いことになる。