来年こそ憲法9条の議論を
憲法改定に関して自民党は来年1月の国会に法案を出すといわれていた。しかし、党内に異論が多く、まとまらないようだ。出すのは構わないが、憲法に関して自民党内では将来の自民党憲法草案との整合性を明確にすべきだ。妥協的改正など提案してもらいたくない。公明党内では議論の見える化をした上で、党内議論をしてもらいたい。憲法に関して教祖の指示で動くように見えるのでは困る。そして国会では野党の考え方を十二分に聞いて、議論を徹底して行なわなけばならない。特に憲法9条に自衛隊を明記するという事は、国民的議論を時間をかけて行う問題である。日本の未来を大きく変えることになるからだ。世界は戦争の勃発する危機的状況にある。その情勢の中日本がどういう立ち位置に立つか、極めて重要な岐路にある。
このままの競争社会を目指すのであれば、日本が明治日本に戻るという事になる。自衛隊はできればない方が良いものだと思っている。警察と同様の性格がある。警察などない社会が望ましいのだが、世に盗人の種は尽きない訳で仕方なく警察が存在する。自衛隊もない方が良いに決まっているが、世界には日本に対して武力攻撃をする国もないとは言えない。その場合に備えて、専守防衛の範囲の武力は必要だと思う。警察予備隊が正しい位置付けではないだろうか。警察は行政の中に存在する。いわば県の業務の延長線上に存在する機関と考えて置けばいい。自衛隊も同じである。特に憲法に位置づける必要は無い行政権の一部とされている。憲法ではむしろ警察権の濫用を禁止する条項がある。例えば警察は国会に入ることはできない。議長の要請で初めて入ることになる。
現在の政府の解釈は憲法の制約上、自衛隊は軍隊や戦力ではないとされている。警察予備隊として始まった。自衛隊は警察の延長線上の存在とされている。これは日本という国の作り出してきた、賢い選択であったと思う。この頃の保守党には知恵があっつた。この賢い選択があったがために、日本は70年以上戦争をしないで来れたのだ。もし日本国憲法が存在しなかったとすれば、朝鮮戦争にも出兵した可能性がある。アメリカから要請はあったのだ。韓国軍のように、ベトナム戦争に派兵されていた可能性はかなり強かった。しかし、日本には憲法9条があり、派兵することは出来ないとアメリカの要請を断ることができたのだ。それを良くない判断だったとする人も居るだろう。こうした点を正面から議論すべきだ。ベトナム戦争に日本が武力的に加わり何かいいことがあっただろうか。まったく正義が果たされない戦争に参加したことになった。アメリカをはじめとする、西側諸国はベトナム戦争に敗北したのだ。正義の戦い、反共産勢力戦線の戦いのはずが、歴史的に見直せばベトナムという国を苛め抜いただけのような結果になってしまった。
アベ政権は憲法の拡大解釈を重ね、ついに同盟国アメリカの戦争には追随できるという解釈にまで広げてしまった。新安保法だ。自衛権のはずが同盟国の危機には、日本が戦力として加わることが出来るとした。そのことは、北朝鮮に対して、アメリカとともに、先制攻撃を加えるという事が可能になるという解釈が行われる可能性が出てきたという事である。もし憲法9条に自衛隊が明記されれば、自衛隊がアメリカ軍と行動を共にすることが、当然のこととアメリカに解釈される事態が生まれるのでは無かろうか。北朝鮮のへの先制攻撃には、地上兵として前線に参加させられるのではないか。その時は日本の軍事的行動に、憲法による歯止めは無くなったとされるだろう。自民党内には、日本に対する攻撃が予測されるのであれば、先制攻撃は現憲法でも可能とする人たちがいる。戦争は常に正義の戦いと主張されるものだ。北朝鮮がアメリカに原爆を撃ち込んだとしても、それは正義の戦いと主張されることだろう。日本の軍事力はあくまで抑止力としての効果にとどめなくてはならない。自衛隊が抑止力としての力を持つ必要はあるとしても、あくまで専守防衛の抑止的能力にとどめなくてはならない。
その為には、憲法9条で戦力不保持が明記されていることは大きな建前になる。この建前を掲げて、日本は平和外交に向う事が出来る。平和外交が正しく効果を上げるためには、戦力不保持、専守防衛を明確にすることが必要なのだ。自衛隊の存在を憲法に明記することが、むしろ日本が攻撃可能の国と位置付けられ、危険を招くことになる。政府は平和外交がなんであるかを行動によって示す義務がある。確かにアメリカとの同盟が必要悪として存在する。その現実は無視を無視する訳にはゆかない。しかし、それはいつかは克服すべき課題として認識しておく必要がある。原爆による抑止力が核保有国の専有的権利として存在している国際情勢自体が間違っているのだ。その意味では北朝鮮の主張は筋が通っている。ただ、だからと言って核保有するという方角は世界が核戦争によって崩壊する道だ。だからこそ日本は憲法9条を守り、日本独自の主張をすべきだなのだ。それでも必要悪としてのあくまで、歴史としての過程として、自衛隊を持つという範囲が、日本の安全保障上望ましいことなのではなかろうか。