連続するヘリコプター事故
軍のヘリコプター事故が続いている。米軍、自衛隊と、連続的だ。その上に自衛隊の戦闘機が炎上した。なぜこれほど事故が連続的に起きるかと言えば、社会的劣化というようなことに突き当たる。兵士の技術の低下。武力の正当性への疑念。機種の老朽化。機種の高度化。整備不良。飛行回数の増大。訓練の実戦体制強化。根治出来ないような深刻な理由が内在している。このままでは周辺の住民被害につながりかねない事態が起きている。自衛隊も米軍もこの事故に対する対応には、無神経なままだ。日産自動車、神戸製鋼と、日本の大企業の信じがたい製造過程にでたらめが起きている。ヘリコプター事故という結果に至る、社会全体の原因となるものを正面から考え直さなければならない状況だ。社会の本気度が衰退を始めているような気がする。利益主義の行き着くところ。競争主義の限界。自分の得にならない事には、気づかない人間の誕生。それが軍隊という組織の中で顕著に表れ始めているのではないだろうか。陰日向なく、先の先まで配慮して目配せをするような、真剣な態度が失われてきているのだ。人間の感性の劣化が始まっている。競争社会の結末が見え始めている
米軍はヘリコプターの墜落を受けて、原因究明をすると発表していた。ところがその原因もわからぬまままた飛行の再開を始めた。この安易さと反省しない態度に、競争主義というものが現れる。結果軽視されているのが地域住民の命である。日本政府はそれに対して抗議すらできない。このままでは必ず、人家に墜落することになる。それでも仕方がないというのが、日米安保条約という不平等条約の実態である。アベ政権はこんな事態であっても日米地位協定の改定の申し出すらできない。まさに日本はアメリカに隷属している。過去これほどの腰抜けの政府があっただろうか。そしてこの腰抜けの木偶政府を国民は選挙で選択しようとしている。国民もずいぶんおかしくなっているのかもしれない。ソフト独裁の洗脳が進んでいる。
またまた、原発事故に匹敵する恐ろしいことが予感される。日本という国が今採るべき道は、前のめりになるのではなく、振り返ってみることだ。国際競争に明け暮れ、心落ち着ける時を失っている。自分たちの国がどうあるべきかを深く考えなければならない。このまま行けば、日本国は自己本位の国になることは目に見えている。その場限りの有利さを求め、自分というものを見失う事になる。勝つこと以外に道が見えない国になる。競争に突入する前に自分たちの目指すものが分からなければ、世界企業の価値観に巻き込まれるだけになる。利益しか見えない価値観の人間になる。田んぼをやっていると、価格とは別の価値を知ることになる。大型化して、大規模企業化して、国際競争力のある農業を行う事で、失ってしまうものがあることが分かる。競争とは無縁の里山の棚田を守るという事が、無駄なことではないと知ることになる。ここに人間の生き方で守らなければならない大切なものがあることを体験する。自分が作ったお米の価値は、国際競争力とは違う価値体系の中にある。人間の想いの価値である。
ヘリコプターも、戦闘機も、それを支える体制を含めて、総点検する必要がある。人間が変わり始めているのだ。昔の体制では通用しない事態が来ている。配慮のできない人間が普通になっているのだ。競争には勝つ人間にはなったかもしれないが、競争には関係のないことによって、社会が支えられていることを知らない。自分ファーストの時代、他者を分からない人間が増え始めている。新しい人間でも可能な、安全体制に組み直さなければ事故は続くに違いない。それはアメリカ軍の方がもっと深刻なはずだ。それゆえにアメリカ軍は日本政府の要請などには耳も貸さない。このような無神経なアメリカと、不平等な地位協定を続けているという、隷属関係を痛切に知らなければならない。そのトランプアメリカは北朝鮮への先制攻撃をちらつかせている。このままでは日本も巻き込まれる。日本人は目を覚まさなければ命が危うい。