アベ政権の終わり方

   

アベ政権は権力の私物化という事で、弱体化を始めた。最後のあがきが、追及逃れの解散である。そもそも安倍氏の出自を考えれば当然の帰結かもしれない。安倍晋三氏を総理大臣役として立ち上げた鵺がいる。鵺は自分の欲望を満たすために、総理大臣にしたと思われる。安倍氏は自分がデクノボウ人形であるという事もあまり認識がなかったのかもしれない。知っていればまさか、加計氏とゴルフに興ずるようなアホなことはなかったはずだ。まして、アベ夫人が森友学園の名誉校長を引き受けることもないだろう。すべては鵺の誘導に従い、自分の意思で動いているかのような気持ちにさせられた不幸による。安倍氏も長く権力についている間に、役者であることを忘れていることも多くなった。まるで自分がすべてを取り仕切っているような、錯覚に陥り国会でくだらないヤジまで飛ばすようになった。ではその鵺の実態とはどこにあるのだろうか。いくつかキーワードは発見できる。「靖国神社・憲法改定・アベノミクス・構造改革特区・諮問会議」

こうしたキーワードのその奥に誰がいるのだろうか。というような疑問である。日本会議というものがそうだ、という人も居た。いや竹中平蔵が関係する組織だろうという人も居た。祖父、父親と続く怨念だという人も居る。私にはどうも明治政府の亡霊どもではなかろうかと見える。つまり亡霊の思いの集合体が鵺存在である。明治帝国主義思想の実現できなかった恨みの塊である。分かりやすく言えば、帝国主義戦争をやって敗れ、いつかもう一度敵討ちを果たすというような怨念の塊。敗戦した悔しさに、いつか見て居れと開き直った人たちの、敗者復活戦である。具体的な亡霊の姿を出現させたのが石原慎太郎であったこともある。何とかもう一度強い日本を取り戻し、中国をたしなめ、アジアを導くというよう不遜な態度である。もちろん石原氏が具体的に鵺だというのではない。鵺は時に石原氏に乗り移ったのではなかろうか。それが明治の亡霊の仕業に見える。もちろん亡霊というのは例えだ。日本では明治帝国主義思想と呼ぶ他ないようなものが清算されていないという事なのだろう。

自民党という政党はそいう亡霊の作り上げた政党なのかもしれない。軍事力の日本の復活の同志のようなものだ。保守政党というものは常にそういう傾向はあるのだろう。ところが世界経済のグローバリズム化によって、国家というものと大企業という存在が別の動きを始めた。経済は一国の経済政策ではどうにもならないことになっている。それが日米同盟であり、TPPだった。アベノミクスが立ち上がり好調に見え、雇用が改善した。しかし、政策が成功したというより、そういう世界経済の一時の流れに過ぎない。株価や為替や物価上昇。黒田異次元政策の結果とは到底思えない。この黒田方式は一時的な効果であり、長く続けるとその反動というものが、必ず生ずる。企業は国を超えて動き出す。アメリカファーストに引きずりまわされる、日本出身の企業の姿。経済政策即国際競争力という考え方が、国内の不均衡化を生み出している。安定した国力、例えば食糧生産力。こういうものが衰退を始めている。

アベ鵺政権は末期を迎えている。鵺である以上最後の亡霊としてのあがきをするだろう。憲法改定である。明治憲法の復活である。嫌悪する占領下の憲法では、敗戦の屈辱が拭い去れないのだ。そのように鵺亡霊に操られているのが、安倍晋三という人間である。日本が戦争をしたこと自体が間違いだったのだ。戦争をせざる得ない道を歩んだことが間違いだったのだ。そしてまた、戦争への道を歩もうとしている。これがアベ政権の末路の姿だ。アベ政権の終焉とともに、明治の亡霊の始末をしなければならない。今度の選挙の意味は、明治帝国主義の復活になるのか、つまり日本ファーストになるのか、あるいは平和な安定国家になるのか。の選択の選挙である。国民が日本ファーストとが良いと選択する可能性がある。それはアメリカやイギリスも歩んでいる、崩壊の道だ。相手を滅ぼすことで自分が良くなるという構図を人間は越えなければならない。もしそれができないのであれば、人類は終わりを迎える。それが今度の選挙の意味としなければならない。

 

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