フクシマ凍土壁失敗らしい

   

凍土壁は不可能だと素人ながらの予測を以前このブログに書いた。こんな泥縄方式で地下水の流入を止められるとは到底思えなかったからだ。水・土は生半可なものではない。福島原発事故は泥縄方式の末、膨大な無駄金を使い続けている。むしろ無駄使いのし放題をいいことに、税金を食い物にしているともいえるのではなかろうか。東電は国に資金援助を要請した。環境除染もそうだ。家の周りだけの除染がどういう意味が有るのだろう。すぐそばの野山で子供が遊べないような環境で、除染が終わったから帰宅しなさいは、さすがに人間の暮らしをないがしろにしている。政府の主張に、3つの嘘がある。1、チェルノブイリの10分の1しか放射能は出ていない。すでにチェルノブイリを超えていると思われる。今も外部に漏れ続けている。2、除染が済んだ地域に帰還を進める。除染の終わった地域などまだない。壊れて直しようもない原発のそばに戻れはひど過ぎないか。3、原子力発電は安い電力だ。この嘘今では誰にでもわかる。

凍土壁の失敗費用まで電気代に含まれるのだから、原子力発電はいかに高いコストの電力であるかがわかる。政府と東電はそういう費用を発電コストに含めて計算しようとしない。そして原子力発電が一番安いと言い切る。これは詐欺行為ではなかろうか。もし、本気で原子力を継続したいなら、堂々と正直にコスト計算を公表すべきだ。そして誰にでもわかるように説明すべきだ。敏感でない報道機関にもあきれる。原発はチェルノブイリと同じく、最初から石棺方式以外に道はない。どれほどの取り返しのつかない失敗をしてしまったのか。そしてその失敗に対してどこのだれも責任を取ろうとしないのが、この日本の政治である。政府は金に目がくらみ腐りきってしまった。凍土壁でも何百億円のムダ金になるが、その責任はこの馬鹿げた方式を安上がりだとした、愚か者が責任を取るべきだ。原発に巣くう連中は原発を食い物にできれば、事故処理を生涯の仕事にしてぼろもうけすればいいと考えているとしか言いようがない。

何故自然エネルギーへ日本は転換しようとしないのか、あるいは出来ないのか。原発事故はその大きなチャンスでもある。原発事故という不幸を、あの時引き返してよかったという、不幸中の幸いの転換するしかないのだ。それを止めているのは、原発に巣食う利権集団である。その利権集団と安倍政権は結託している。そのために、どれほどいのインチキで、世論を誘導しているか。あのオリンピック誘致の時のアベ氏のプレゼンテーションは、原発がコントロールされているであった。どいう狂気であったのか。その総理大臣が結構人気がある、日本人の過半数が支持するという事態に陥っている。もう日本はダメなのだと思うしかない。残念である。悔しい。しかし、それがこの国の実態であり、判断なのだから、諦めるほかない。かかわらないことだ。

凍土壁の失敗という事は、汚染水の海洋流出という事である。タンクに溜め込んではいるが、それがすべての訳がない。地下水として海に流出している。むしろそれを望んでいる気がする。すべてを水に流そうという計画。いや、無計画。アメリカも原発実験で大量の放射能を太平洋にまき散らした。お互い様だから文句も言えない同盟国である。久野でも原爆実験の放射能は検出される。チェルノブイリ由来のものもあるだろう。仏の顔も3度なのだから、そろそろ地球汚染も限界にきているかもしれない。放射能の人体への影響には閾値がないという意味は、100万分の1のリスクであれば、100万人に一人には影響があるという事だ。他の汚染物質と違う薄まらない性格が困るのだ。だから平均寿命には影響を与えないが、不運な人はどこかにいる。人間の暮らしは自然循環に収まらなくなった。自然のサイクルをゆがめてしまうようなものにまで肥大化した。原子力はその最たるものである。文明としての、失敗が原子力利用である。人類が拡大再生産を目指す以上、人類は滅びるしかない。

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