アベ総理大臣の「新しい判断」

   

アベ氏が消費税10%の延期分の公約を覆した。「新しい判断」という言葉を使った。まさに二枚舌だ。総理大臣が法律を破るような「新しい判断」をしたのである。言葉を愚弄し、操っている。私は、消費税を上げる以外に道はないという考えを一貫して主張してきた。消費税を上げることは低所得者により大きな負担になることは分かっている。苦しくとも消費税を上げる以外に道がない。日本が財政破たんをしているからだ。消費税の必要性ではアベ氏と同じ意見だった。ところが、アベ氏はこれを覆した。すべては、憲法改定の為である。すでに3分の2の議員が改定賛成の衆議院は解散せず、参議院でも与党で3分の2を確保しようという作戦だ。それには消費税一〇%が選挙の焦点になっては困るのだ。総理大臣が約束をたがう時に使う言葉が、「新しい判断」である。約束を破るのだから、まず責任を認め、謝罪をするところからだ。

アベノミクスに関しては第三の矢がどうなったかである。新しい産業が創出できたのか。これが全く駄目である。確かに、景気が悪いのは日本の問題だけではない。世界の経済の変化の中で、日本のような国が競争力を下げるのは当然の結果である。しかし、世界全体が景気が悪いから、アベノミックスが不調に終わったという理由付けは間違っている。アベノミクスの問題点は第三の矢を放つことが出来ないという問題点である。何故新産業が創出できないかと言えば、日本人に進取の精神が失われたからだ。高度成長期日本が新産業を創出できた原因は、日本人の江戸時代から培ってきた能力がたぐいまれなものだったからだ。勤勉で、正確で、繊細で、調和的で、観察力があり、工夫ができる。江戸時代の稲作共同体で培かわれた、人間力である。極めて高い労働力が一気に新産業に投入できたのだ。ところが、すでに日本の農村社会からは労働力の供給がなくなった。日本の教育は世界の一般的な学校教育の水準になった。

農村の暮らし、里山の手入れから身に着けた、創意工夫力が無くなっている。ごく当たり前の世界標準的な国になった。というか成り下がった。瑞穂の国日本を再生しない限り、日本人が新しい発想の新産業を創出することは出来ない。過去の日本人であれば、原発事故を契機に自然エネルギーの国に転換することができたはずだ。ところが、いまだ原発にしがみ付いて、過去の傷口を舐めている状況である。失敗は仕方がない。過去に執着せず前に歩き出す。それ以外に新産業に進むことは出来ない。新しい判断と総理大臣が言った内容は、実に古い判断に基づいている。消費税を上げないという事は一番簡単な方法である。つまり現状維持である。消費税を上げてもその分の消費税の使い道によっては、新産業になる可能性がある。アベノミクスは新たな経済政策のように見えて、実は極めて保守的なものである。既存企業を守ることが大前提だから、法人税まで下げている。法人税の値下げ分で、新産業を展開する企業に対して、税を免除するという事だってできる。

全ては憲法改定の為に犠牲にしてもいいと考えている。今度の選挙は土壇場である。ここさえ乗り切れば、アベ氏を動かしている、魑魅魍魎たちの命が尽きる。新しい判断などという、でたらめな言葉で日本を操らせてはならない。アベノミクスの失敗を認め、謝罪をすることからだ。消費税の先送りによって格差社会は一層深刻化する。子育て世代の緊急対策や医療の対策は滞るはずだ。日本の経済は残念ながら、さらに悪くなる。今の状態は序の口と考えておいた方が良い。総理大臣が、自分の落ち度を新しい判断という言葉で、ごまかしてしまう国が良くなるわけがない。結局のところこういう、口先だけの人形のような人を選択するしかないところが、日本の限界という事なのだろう。落ちるところまで落ちたら、この自然を生かしてやり直す気持ちになるのだろう。

 - Peace Cafe