絵の構造に関して
田植えが終わってすぐ、田んぼを描きに行った。沼代の最近描いている田んぼである。自分が田んぼを這いずり回った感覚で、田圃を見たらどう見えるのかと思ったからだ。確かに田んぼが少し親しげに見えた。なかなか面白いことだ。田植え前と田植え後では、絵が違う。まだ田植え前のようだが、4日5日あたりで田植えが行われるのではないだろうか。さらに奥の放棄田んぼの方で耕作をする人が見える。耕作しているというより、杭のように畑に立っている縦長の影がみえた。あまりに小さいので、距離の遠さを知る。その黒い点が緑の中に、黒い線をゆっくりと起こしてゆく。自然を描いている。確かにそこに線は必要だったんだ。崩れかけた畔を印すように線を起こした。田んぼだった時はどれほど美しかったことか。あれが田起こしであって田んぼになるならどれほどいいことか。
絵には構造が必要である。という風に学んだ。よく理由は考えなかったが、そういうものだろうとなんとなく思ってきた。絵には骨組みが必要とも言われる。建築のように絵を描く必要があるという事らしい。絵をしっかりした感じにするというぐらいに受け止めてきた。淡彩スケッチのようにどこかに漂っているような、軽い感じではないのが絵だといわれているような気がした。このように絵に枠をはめようという事は、たぶん絵を価値あるものとして権威づけたいという意思なのだろう。具体的に言えば、竹久夢二氏や岩崎ちひろ氏の作品は挿絵であり、絵画ではないという事なのだろう。しかし、これは間違った先入観だ。良い絵とどうでもいい絵とがあるだけだ。絵画を近代国家の権威付けの中に入れ込もうという発想は、脱亜入欧的なならい追い越せという、焦りに過ぎない。首脳会談が行われている背景には、巨大な立派な絵が置かれている事が多いい。首脳たちを立派に見せる、背景のようなものなのだろう。あれはやはり私の考える絵というものとは違う。
絵の構造などという発想の中に、立派なものこそ絵画なのだという意図を感じる。絵の構造とか、建築的なものなどという事は、すっかり捨てなければ話しにならない。私絵画では当たり前だが、絵はすべてから自由なものだ。何であろうとかまわないからいいのだ。良い絵を描こうとか、そういう事すら無意味なのだ。自分の見えるているものにだけに正直であればそれでいい。その見えているものを表現するためには、絵の構造がしっかりしていなければだめな場合もあるだろう。同時に、構造がふにゃふな場合もあるだろう。見えているという事はそのように、その日その日で様々な事なのだと思う。その様々なことにとらわれず従う事こそ、私絵画だ。だからできたものを立派な絵とは呼べないかもしれないし、他人には無意味なのかもしれない。その余りに無意味、無価値なものだからこそ、絵を描いて見たいと思っている。
江戸時代に絵を描いた絵師たちはそんな枠決めなどしようとしなかった。むしろ琳派の権威的なお抱え絵師たちに対して、庶民目線で笑いのめしていたに違いない。絵の題材や、描法はどこまで行っても自由で無ければならない。それは良い絵を描くためというようなことからも離れて、自分というものにたどり着くための自由である。権威ある保証された絵らしいものを追い求めるのでは、自分というものに至れないのだ。人の価値規範に向っているに過ぎない。絵らしい絵を考えた時に、構造的な絵というものがあるという人も居る。風景を見ていて、良い場所だと感じるときに何か動きというものを感じている場合がある。色と色が反応して、全体に力が働いているような感じだ。面白いとそういう時に反応する事が多いい。畑でも、田んぼならどこでも描きたくなるわけではない。そういう自分というものを確かめるために絵を描く。