農の会と新規就農者

   

農の会は地場・旬・自給の会である。それは立ち上げた時からの思いであった。農業者というものは地域の維持に大切であるが、この地域では今後農業経営が不可能になるだろうと、25年前に考えていた。地域の農地を守るためには専業ではない人を、農地の維持に呼びこまなければならないと考えてきた。専業農家に農地の維持ができないのであれば、自給的な人に農地管理をしてもらわなければならなくなる、といというのが、農の会を作った時の発想であった。それでも専業の農業者になりたいという人が、年に一人ぐらいは現れ続けた。農の会に自給者としてかかわる中で専業に変わる人も居れば、初めから専業を目指す人も居た。農の会はこうでなければならないということはない。その人その人のかかわり方で様々なかかわり方が自由に出来る。今の時代に農業をやろうと考える人は、独特の人ばかりだった。今数えてみると30人近い専業農家になった人と出会った事になる。中には自分では農の会等とかかわったとは少しも思っていない人も居るだろう。足柄地域を離れて遠くで農業を始めた人も居る。

いずれにしても、毎年1人くらいの新規就農者に出会ってきたことになる。どの人が来た時にも農業は大変だからやめた方が良いと話したと思う。家も農地も機械もある地域の農家の人が、不可能だからやめようと考えているのが、農業という仕事だ。親ならできれば子供には継がせたくないとまで考えている仕事だ。普通では不可能なことと考えなければならない。自分だけできるなどと思うのは何かが間違っている。自給農業にした方が良いと話して来たと思う。他に収入の道を確保しておいて、自給農業をやる。これは楽しいし打ち込める。自給農業は1日1時間100坪の土地でやれる。などと話すが、農業をやりたいという人の思いはまた別で、結局のところやる人は何を言われようがやることになる。農の会は自給農業の会なので、あくまで新規就農者は農の会の周辺の人と考えざる得い。互いに助け合わなければならないが、生産者は最終的には自力でやらなければならない。農の会がかかわれるのはせいぜい最初の3年間くらいと言ってきた。

直接農の会とは別に、養鶏の方でも10人を超える人が研修に見えたと思う。今も全国のどこかで養鶏業をしている人も居るかもしれない。私の所での研修が少しでも役立ってくれていればありがたい。しかし、農業でやって行くのはよほどのことでなければ無理だろう。養鶏業であっても困難なことは変わらない。だから今でも、専業農家になる道は誰にも勧められない。それほど日本の農業を取り巻く環境は良くない。私が始めた25年前よりさらに悪くなっている。それでも農地は守らなくてはならない。農地が無くなれば、特に田んぼが無くなれば、日本という国柄が失われると考えている。小学校で道徳教育を正課にするという事らしいが、それくらいなら田んぼの農作業を授業に取り入れた方がよほどためになる。そう思えるほど田んぼは学べる場だ。絵を描いている人なら、必ず絵が自分のものになる。音楽をやっている人なら、自分の音の音楽家に成長できるだろう。詩人であれば詩が生まれる。経営者であれば経営の目的が見えてくるだろう。そのように日本という国は出来上がったのだろう。日本が方角を失い始めた今、田んぼをやってみることで方角が見えてくるかもしれない。だから、自給農業には意味が有ると考えている。安心立命である。

農の会を始めて良かったことは、こうして多くの人と出会えたことだ。自給的に農業をやる人とは200人を超える人と出会ったのだろう。しかも同じ目的の作業で共に汗を流したのだ。こんな不思議なことをやれたという事がうれしい。私は70まではやりたいと考えている。あと2年農業に頑張り、70からは絵に専念する。70までは何とか動けるからである。今も昔の山北での開墾時代のようには、身体が続かなくなっている。それでもあと2年は何とかやれるかと思っている。農の会が多くの新規就農者の、何らかのきっかけに成れたことは、良かったことだ。その人たちがどこかで次の人の始まりのきっかけになってくれればうれしい。鶏を飼って生きることができた事は、それはそれは面白いことであった。自分の鶏種による養鶏の夢は出来なかったが、出来ないという事を証明できたのかもしれない。今でも鶏の研修をさせて欲しいという問い合わせがある。残念ながら、今は終わっている。自給農業であれば、あと2年間はすべてをお伝えできると思う。

 

 

 - あしがら農の会