冬の篠窪
このところ篠窪に通っている。篠窪は冬もなかなか魅力的だ。今、菜の花が盛りである。菜の花越しの富士山を写真に撮っている人が必ずいる。私にはどうにもこの菜の花がいただけない。油を採る訳でない菜の花畑。篠窪の場合菜の花と養蜂と関係するのだろうが、この時期蜂は飛んでいない。景観作物の畑というものの、何が違うかと言われても困るのだが、絵を描こうという気にはなれない。どこかうつろな印象を受ける。取り遅れた菜花の類が黄色く花を咲かせているのには惹きつけられるのに、あまのじゃくである。篠窪の農家の方は熱心である。毎日畑に出ている。冬には何かを燃やしている人が多いい。畑に人が来るとまず煙が上がる。あそこにも人がいるのかとすぐにわかる。邪魔にならないで絵を描くという事を心掛けているのだが、道が狭いので通るだけで邪魔をしているようで人が動かない時間を狙ってささっと行き、邪魔にならない場所に車を止めて絵を描いている。小高いところに家が一軒あるのだが、たぶんそこからなら、海も富士山も見えるはずだ。
篠窪の集落は名前の通り窪地にある。100軒ほどだろうか。お寺もあり、大きな神社もあるくらいだから、昔はもう少し家が多かったのかもしれない。震生湖がすぐそばにあり、水は豊かとはいえないだろう。たぶん井戸を掘れば水は出るだろう。しかし田んぼがあった様子はない。田んぼが作れず、江戸時代は暮らすことは出来たのだろうか。その意味では、背後に大きな山を抱えた、秦野や丹沢の集落とは少し異なる暮らしが想像される。窪地の底に住んで、丘陵地帯全体を畑にして暮らしている。古い航空写真では一帯が麦畑の地代が写されている。山の上の畑まで歩いて通う方とも出会う。背負い籠に野菜を詰めて下るのだから、かなりの重労働である。大体の方はお年寄りである。畑の周囲には大体は動物除けの網やら、トタンやらが張り巡らせてある。電気柵はそれほどは見ない。猪に苦労されているのだと思うが、様子からして舟原ほど被害が大きいようでもない。
冬の色彩は静かなのだが、柿やミカンが取り残されているのが、目立つ色彩になる。野菜畑が多いいので、冬野菜の緑が実に新鮮である。山仕事をされている方もいる。くぬぎ林を切り払っている。まさか薪やほだぎではないだろうから、畑に戻そうという事かもしれない。煙のにおいがして、木を切る音がする。里山の暮らしである。おとといに丹沢には雪が降った。この雪山が背景になって、篠窪も華やいでいる。冬とはいえ明るい景色である。ただ、そのままを描こうとしている。絵を描いているのに絵にしないでもいいという気持ちは、これもあまのじゃくである。それでもあまのじゃくの自分のままにやるしかない。このやり方が里山のあるがままの姿を映し残すための方法だと思っている。写真で取ったところで、私が見ている里山は全く映らないものなのだから、仕方がないことなのだと思う。
写真というものは怖いものだ。テレビで戦後の子供たちなどときどき移ることがある。自分の子供時代が移るわけだが、私の中にある世界は、ああしたものではない。しかし、写真に映る世界がまるであった世界であるかのように見られてしまうことを怖いと思う。江戸時代はまだ絵しかなくてよかった。北斎の絵の方がまだ江戸時代を映しているからだ。人間が見ているという、綜合性を絵なら少しは表せるのではないかと、里地里山を描いている。自分の見る能力に掛けるほかない。危ういことではある。何にもならないことであるのだろうが。今里山を描いた絵がないという事は事実だろう。菜の花越しや、忍野八海からの富士山の写真や絵はある。しかし、それが富士山には私には見えない。できないとしても私が見ているものの先の方に向ってゆくしかないと。そう考えて篠窪で富士山ではない方向を描いている。