自給農業と税負担

   

自給農業は税金を払わないのだから、社会的には評価できない。税金を多く払う企業があってこそ、国が維持されているのではないか。こういう意見があった。似たような意見が3回目である。世間で普通に働き税を負担している人から見れば、そんな気分になることもあるだあろう。しかし、これは筋違いの批判である。社会を構成するにあたり、税を多く払う人が社会貢献度が高く、税を払わない人は反社会的存在という観点は間違っている。確かに、税の集め方と使い方が政治だと大学の時の政治学で習った。日本国憲法に書かれた人間の権利と義務の問題でもある。道路を使う頻度に応じて税を払っているわけではない。税金はどこが公平か難しいところである。一応現行法に従い、社会的な公平性に基づき、できるだけ平等ということで税体系は作られている。自給農業が税を払わないから、価値が低いというような割り切り方は、見方が狭く、良い社会を作ることにならない。

税を払わないどころか、給付を受けなければ地方の社会はすでに成り立たなくなっている。そして消滅してゆく。複雑な要因が絡み合っているので、一概には言えないことであるが、税を払わない地域は消滅した方が良いということにはならない。国境の離島などいらないと私は考えるが、そういう人は少ない。日本国に暮らしている以上、税を多く払う価値ある人と、税をあまり払わない価値のない人という、分け方は間違っているのだ。中山間地の農業、林業にかかわる人の大半の人が税を払えないどころか、税を給付してもらい成り立つ暮らしである。だから過疎地域はいらないということは言えない。そのことが日本の基本的な力であると考える。日本の自然環境の維持には欠かせない存在である。観光地が美しいという裏には、里地里山の暮らしの景観維持がある。お金にもならない、ひたすらの草刈りの結果日本の自然は何とか維持されている。自給農業にも言える。連日暑い中草刈りをしている。収入どころか出費だけである。私が農業を止めれば、地域が少し草だらけになる。

よく言われることだが、田んぼの水利調整機能はダムや堰堤の人工的な対応であれば、何兆円もかかる仕事を無償で行っている。税はそういうすべての側面から、バランスよく作る意図で施行されている。そうではない面もあることはわかるが、おおむねそうなっているから国が維持されている。そういう意味で、法人税を下げないと企業が外国に出てゆくという行為が理解しがたい。そんなくだらない企業は出てゆけと言いたい。企業の本社を海外に移転して税逃れして、日本で販売利益の恩恵だけ受けようなどというのであれば、それこそ問題である。グローバル企業の動きにはそういう国家を超えた傾向があるのではないか。このことは資本主義の次の問題として整理されるべき課題だ。

中山間地の条件不利地域では、国際競争力のある農業は不可能である。重大な問題がここにある。しかし、中山間地の農業、林業に基づく里地里山的な暮らしが、日本の国土、自然環境を維持している。しかも、瑞穂の国という日本文化の担い手である。補助なくして経済的には維持できない。山の中に暮らす大半の人が、経済とは別の価値観で頑張って維持してくれている。多くの方が無言で、ひたすら生き方として貫いている。当然税金も払えない。そういう無数の人たちを、税を払わないから、無意味な人だと決めつけてしまうのは、日本国として方角を間違ってしまうことだ。自分の利害を超えて、地域のために生きる。そのことがすぐにではないにしても、長い将来の地域のためになると考えて、ひたすら頑張っている人をたくさん知っている。表面的な税金負担だけを見て、無意味な存在と決めつけることがどれほど心無いことかを考えてもらいたい。

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