エジプトの民主主義

   

エジプトで、大きな民衆のデモが起こった。デモが起こったときには、市民デモなのだから何か、民主的な意味があると単純に思った。今回これが軍主導の革命にまで進むとは思われなかった。一体あの、ジャスミン革命は何だったんだろう。民主主義を確立するこということは、はたして人間に出来ることなのか、気が遠くなるような思いである。ジャスミン革命は、独裁政権に対して行われた、良い革命というイメージがあった。ところが、この革命の背景も、そう単純ではないようだ。中東のことはあまり良くわからないが、民主主義は育つ可能性があるものなのか。もし育つとすれば、どういう順序が必要なのか。実は日本でも同じようなものなのではないのか。そんなことまで思った。イスラム的要素ということがあり、それが良くわからない部分だ。テロ輸出国家とまでアメリカに名指しされた、カダフィー大佐のリビア。チュニジアに発したジャスミン革命の「アラブの春」の波の、結果を見てみる必要がある。

エジプトで始まったデモは、失業している若い人たちが中心になっていると言われていた。これもどうも実情とは違う気がする。リビアの場合は革命ということではなく、内戦で反カダフィー勢力が海外の支援を受けて、独裁をつづけるカダフィー政権を打倒したのが実態。しかし、カダフィー殺害後も、駐リビア・アメリカ大使が殺害される事件等が起こり、内戦状態が解消されたとは今だ言えないようだ。沢山の部族間の抗争がある。これは旧ユーゴスラビアの独裁者チトー死後、内戦状態になったことと似ている。リビアは石油産出国であり、その利権が大きく、カダフィーとフランスの関係は強くあったらしい。リビアの現状を書いているブログがある。「中東の窓」という。長年、日本の外交官として中東に深く関与。中東から見た国際関係を日々発信するブログ。これを読むと、リビアが民主化されたどころか、今後問題が拡大する可能性が大きいように思えてくる。本当に民主化は難しいものだ。

エジプトは中東においては、最大の国家でアメリカとの関係も良かった。そのために、アメリカは今回の革命に対して曖昧な態度というか、煮え切らない態度。背景は複雑。エジプトの民衆の不満は経済と言われるが、どうもそんな単純なことではない。エジプトはイスラエルの主権に対して、重要な存在であった。誰かを悪者にしても民主主義の正義は始まらない。軍はアメリカから資金援助を受けている。日本では、長年の自民党政権があまりに不甲斐ないということで、民主党にチェンジした。ところが、変わってみたものの、もっと不甲斐なかった。それじゃしょうがないからもう一度不甲斐ない自民党に戻るしかないという選択を、国民は選挙で行ったところでどうしようもない気分。しかし、行かなければさらに状況は悪化する。自民党の特徴は、原発再稼働に良く表れている。問題がないとは言えないが、建前と本音を使い分けて、現実主義で行こう。ある程度安全対策を施し使える原発は使う。それの方が無駄はないし、もったいないだろう。日本人はこれに乗るとみているのだろう。

日本は公正な選挙がおこなわれている。ただし、多くの若者が選挙に行かない。選挙に行かないということも、民主主義が成立していなことの表れのひとつだろう。投票が政治に反映する実感が持てないから選挙に行かない。政治に対する無関心を広げてゆくことも、政権の戦略の場合もある。現在、参議院選挙の最中である。大切な連休に入る。しかも、憲法改正にまで関係してくる重大な選挙である。日本という国にとって、平和憲法は極めて重要だと私は考えている。すべては選挙結果である。中東の現状から考えれば、日本は平和ボケのようなありがたい状況である。しかし、一つ間違えばどうなるか分からない瀬戸際である。何千万分の1票であるが、これがすべてを変えてゆく。民主主義は不思議なものだ。志がなければ育たない、永遠の課題だ。

昨日の自給作業:田んぼ草取りまとめて、4時間 大豆水やりまとめて7時間 累計時間:14時間

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