65までにやりたいこと
周辺との関わりのあることの整理が終わるのを65歳と考えている。つまり、後28ヶ月である。自分がいないことが迷惑にならないようにしたい。逆にいえば、65歳以降は自分がいなければ成り立たないような活動は一切しない。社会的でない自分という人間と向かい合って、という状態になって、自分の結論を探りたいと考えている。具体的には自給自足の暮らしに集中して、絵を描きたいと思う。現在はそこまでの面壁9年である。このブログを始めたのも、その一環である。千日回峰行というのも、9年間かかるらしい。その程度はやらなければ、一つのことも見えてこないということなのだろう。中川一政氏は真鶴の福浦港で15年同じ場所の絵を描いたそうだ。同じような絵を生涯描いている絵描きは普通であるが、自分の絵が分かるまではという覚悟で描き続ける姿勢を学びたい。絵を描くということは、自分という存在が、生きることをどこまで深められるか、探れるか、味わうことができるかだと思っている。
畑や田んぼを耕作することと絵を描くことが、自分の中で一つになることに向かっている。座禅修行をするというような形がどうも自分には合わない。社会とつながるような意味あることは一切が修行の邪魔だという考えが、自分には取れなかった。しかし、関係性の中で存在する自分だけでは、自分の底までたどり着けないということもありそうだ。絵を描いて、畑を耕して、自分の見ているものを通して、自分の生命の姿を突き詰めたい。自給の畑を耕すということも同じである。私のような俗な人間には、具体的な形がないと、修業が落ち着かない。そこがダメなのだと言われればそうかとも思うが、いまさらのことだから、この点では自分流で行くつもりである。そのために65歳までは、一応の社会的な役割の整理の時間でもある。自治会の役員を引き受けたのもそのためである。65歳以降に頼まれたら困るからである。
当面やることは自給農業のまとめである。たぶん結論までは出せないだろうが、65歳までなら身体を動かしながら、技術確認が出来るだろう。最も楽な自給自足法である。お米、麦、大豆、はだいぶ結論が出てきたが、野菜栽培はまだまだである。これを具体的にこの2年間で確認して行きたい。野菜作りは、土作りが主体になる。土が良くなれば、野菜はできる。その道筋を、それぞれの野菜に適合した、楽な土づくりの手順を考えたい。食糧自給をやりたいと考える人の多くは、化学肥料や農薬を使いたくないと考えている。今後ますますそれは当然のことになるだろう。草を抜かないで良いなら簡単そうだと、自然農法を始めてみる。ところが上手くゆかない。初心者がリンゴの木村さんや、自然農法の福岡さんにゆく。本格的な農業家が自然栽培を志したのだ。素人がやる場合には、誰でもそこに行きついてしまうような、わかりやすい手順が必要である。ここに私の役割があると思っている。
どこまで草取りをしたらいいか。どこまで草を取らない方がいいのか。外から物を持ち込むことは良くないことなのか。こういうことは土の状態でまるで違う。土の状態は生えてくる雑草の見方も整理する必要がある。1年目と2年目の変化に気づかなければならない。こういうことは専門家でもとても難しい。だから、誰がやってもそうなってしまうような、わかりやすく、楽な農法を整理する必要がある。作物を作りながら、土を良くして行く方法。もうひとつ大切な考え方だが、食料自給は田んぼから入るべきだ。一年間の自給が60キロとするなら、100平米の田んぼでも可能ということになる。つまり、10家族なら、2反から3反の田んぼで何とかなる。その方がはるかに楽である。主食になるお米を確保するということが、まずやるべきことだ。麦、大豆も必須である。その上での野菜である。人のための農業技術も65歳までに何とかしたい。