沖縄のゆめ
政府が嘉手納基地以南の米軍基地の移転のスケジュールをアメリカと調整することになった。同時に北の辺野古を埋め立てて、新しい基地を建設する計画である。沖縄の中の南北問題もあるきがする。日本の地方は、空洞化している。日本が輸出産業中心の企業社会と考えられるようになった。その企業が利潤を求めて、国という枠組みを超えて活動している。日本の国益を優先しているとは言えない場面もある。そうした世界経済の枠組みの変化に伴い、地方経済というものは、方向をつかみきれないでいる。TPPで日本の農業がどうなるかと心配されている。TPPは輸出産業を中心に考えれば当然の国際条約であろう。企業にはおおむね有利に作用するのだろう。しかし、農家にとっては、このままでは廃業の危機である。このことは、日本の地方はすべて崩壊してゆくということになる。沖縄でいえば、肉牛とか、サトウキビであろう。沖縄のサトウキビは離島の産業として、官民挙げて育ててきた農業である。国際価格の5倍程度らしい。もし、関税が無くなれば特殊な事例を除いて止めざる得ないだろう。菊の栽培が一時行われたが、輸入が増加して成り立たなくなった。
限界集落ということが言われる。多くの集落が消えて行っているのが日本の地方の現状である。山間の集落や離島の集落は経済合理性だけで維持されてきたわけではないだろう。その地域がとても魅力的なところだから、出来ればそこで暮らし続けたいという思いによって支えられてきた土地だ。青鹿氏までも、三宅島でも全島避難が長期に及んでも、期間を切望し実現した。日本人が日本人として出来上がったのは、何千年とそうした暮らしを続けてきたことに由来する。大多数の日本人は土地とともに生きてきた。沖縄でも稲作は盛んな時代があった。昭和30年代までのようだ。今は田んぼはほとんどないといってもいいくらいである。稲作は日本人の暮らしを作り出したものだ。それが各地で失われてゆくことは、日本人が変わってゆくということだろう。ではどう変われば、望ましいのかを考えたほうがいい。北海道は食糧生産の基地になるのがいいのかと思う。大規模で国際競争力がある農業が出来る地域は、限られている。
では沖縄はどうか。「医療や老人施設を充実させた特別地域にするというのはどうだろう。世界から医療の研究や、高度医療を受けるのために人が集まるような地域に出来ないだろうか。若いうちは本土で働き、老後は沖縄で過ごす。政府はそのための税制や設備の充実を行う。老人の増える時代、沖縄のような自然環境の魅力ある地域を生かす方法はある気がするのだが。」ここまでは以前書いたものだ。沖縄という土地は人間を癒す力があると感じている。そういう土地は、世界中探してもそうあるものではない。気候や、自然の力もあるが、そこにくらす人間の持っている回復力を感じる。それは病院というだけでなく。引きこもってしまった子どもたちなどにも、とても良い水土だと感じる。沖縄が祈りの島ということが言われる。確かに、そうした神聖な空気のある場所が、たくさん存在すると感じた。現実に沖縄の元気というものが、日本の重い空気を救っている。
政府は基地負担の削減を主張している。絶対に必要なことだ。10%の土地が米軍の基地であるようなことは、いつまでも続けていることは不自然なことだ。今回の辺野古移転でも、基地という迷惑施設と引き換えに地域開発や、雇用が提案されている。その行われてきた実態をみると、今のところよい成果を出しているとは言えない。基地を削減を主張するならば、基地に代わる経済的な構想を提案する必要があると思う。沖縄にどのような夢が描けるかと言えば、沖縄の自然治癒力のような力を生かした、ものではないかと思う。団塊世代の退職後の移転先にはなり始めている。長期滞在型の、のんびり施設はすでにある。先端医療設備の完備した、滞在型人間ドック。引きこもりの子供たちの、元気になる学校。IT細胞の研究施設。自然エネルギーのモデル地区。スポーツ医学の研究、トレーニング施設。税制等の特区指定をしたらいいのではないだろうか。