自治会の役員

   

舟原の自治会の役員の依頼があり、引き受けることにした。4月から1年が副会長であり会計。来年4月から一年が会長と言うことになるのが、通例である。以前、同じ形で公民館の役をやったので、これが2回目の役回りである。舟原にお世話になり、13年目である。依頼されて断ることはできない。公民館の役を受けたとき、一度は断るものだと言われた。それが出来るならいいのだが。様々な場面で、抜けられない仕事もあるので、どうなるだろうかとすこし心配でもある。農協の舟原の総代というのも依頼された。これも受けた。農業をやっている人が減っている以上、私のようなものでも役回りは受ける状況だろう。仕事とぶつかったときは、役割を交代してもらうと言う範囲でしか無理だろう。自治会の役員の役割が大変であるのは想像できる。半分勤めているのではと言うほど時間を取られるもののようだ。なにしろそのために早期定年をして引き受けたと言われていた。自治会が担う地域の仕事はとても多い。自治会とは何かという事を考える2年間になりそうである。

自治会の役割は重要。産廃処分場が出来るときに、自治会長の承諾で、地域の合意を得たことになったりする。自治会長の承諾と言っても、自治会の議論と決議を経てという場合ばかりでなく、自治会長が独断で判を押したなどとう事例も、全国的には珍しいことではない。自治会に規約がないということが、原因になる。自治会が集まったものに、自治会総連合と言う組織がある。これがまた、独断で行政に対して陳情書を出したりする。つまり、自治会と言うものはそもそも、民主的な市民を作り出すために、できたはずのものだったにもかかわらず、いかにも形式民主主義という日本的なものに変わっている。これは日本的知恵が良く機能しない例だろう。良い方が会長になられている時には、実に合理的に運営されることになる。まあそうとばかりはいえない場合もあり、つまり私のような人間も成る場合がある訳で、問題が起きないとも限らない。少なくとも、ブログに書いて良いことといけないこと位は考えなければならない。

2月2日の夜に譲り式と言うものがあった。4月からの役員の紹介である。私もそこで初めて名前が出たわけだが、昔は投票があったと思う。今はやってくれる人が少ないのが現状なので、選挙と言うよりは、こういう方にお願いして引き受けていただいたという、紹介かと思う。何か対立するようなことがあればまた別なのだろうが、普通の暮らしでは特別の問題がある訳でもないので、順番でというか、普通にやれるならということだろう。それは農協の総代も、農業委員や教育委員も建前は選挙であるが、そう言うことはまずないという事と同じであろう。選挙と言うような形にこだわることが、日本の地域境に適合しないという事である。こういう姿になる。民主主義的におかしいとは思わない。ただ、いったん事があるときには、このことが問題になる場合がある。その時に対応する知恵がどこにあるのか。このあたりの建前と、本音の理屈を感じ取れるのが、日本社会の大人の定義。大人ではない私が上手くやれるかは心配である。

この舟原がとても良い所で、新しく来たややこしい私のようなものを気持ちよく受け入れてくれたことがある。8か所に今まで住んだ。随分いろいろな所に住んできたものだと思う。小田原の気質は嫌いではない。実に率直である。腹にあることを貯めないで、ずけずけ言ってしまう。わかりやすくていい。疑わしいと思えば、口に出してしまう。ある意味損な性分であろう。疑わしいと思いながら、黙って腹にためている地域は、暮らしにくいところである。自分の住んでいるところに役立たないのでは、申し訳がない。と考えて役員を受けた。いくつかの課題を自分なりに持っている。そのことも、ここに書いていいのかどうか。まだわからないが。舟原地区が土砂災害地区なので、災害時の対応策は、考えたいと思う。

昨日の自給作業:畑の草刈り1時間 累計時間:15時間

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