沖縄で考えたこと 2
紅型には、麻製のもの、木綿製のもの、絹製のものとある。この素材の違いが色彩に影響が強い。沖縄の色は透明な青色だと思う。あの水色の美しさは、沖縄の自然が生み出した色彩を感ずるとわかる。サントリー美術館にある水色に染められた木綿の布の美しさは、特に際立っている。しかし、国宝に指定された紅型は10点。国宝は日本の宝である。日本人が生み出した尊いものということになる。日本人の何たるかを表しているともいえる。この沖縄の水色は沖縄の海の色。愛を薄く染めるときの色むらの問題がある。庶民の色なのかもしれない。黄色の高貴な色彩を王族の色とした。これは僧侶の衣服にも残っている。中国の色階級を反映しているのかもしれない。祖父が派手な黄色の衣を着て、この黄色は同じ黄色でも位が上なのだと説明していた。しかし、僧侶の位は嫌なものだ。沖縄の紅型はほとんど室町期の日本の影響。衣服の形ではシンプルさが目立つ。
沖縄の黄色。特に絹に染めた黄色の鮮やかさは際立つ。そこに染め付けられる模様のあでやかな南国風の色合いは、南で育った色感という独自性がある。図柄そのものは、南国風といえるものもあるが、大体が日本的な図柄である。というより中国の影響を日本で育てた図柄。能衣装などとの関係。沖縄の古典舞踊の衣装。沖縄に来てみたくなったのは、たまたま見た沖縄舞踊のすごさである。そのころよく見せてもらっていた、梅若流の能の舞台と比べて、遜色をまったく感じなかった。二つの舞踊に共通する、精神性の表現。幽界と繋がる世界観。能にある貴族的な精神性との違い。沖縄舞踊は緊張をさせない高貴さのようなものを感じた。王族とはいえ、沖縄的な王。沖縄の紅型の豊かさは開かれた豊かさである。舞踊の高貴さが、開放的であるように、沖縄の文化は日本で唯一鎖国的な島国文化と別なものを残した。それは中国やそのほかアジア貿易。倭寇のような存在もかかわる。これはこれからの日本の示唆になる。
博物館には沖縄の歴史、民俗、美術、自然史的ジオラマなどさまざまな展示がある。イリオモテヤマネコの剥製がある位で、それほどのものではない。美術については少し焼き物がある。沖縄の焼き物は面白いと思ったことがない。民芸風という意味でも物足りない。すべてシーサーレベルのものだ。紅型とのこのレベルの違いには驚く。紅型の色彩を沖縄の自然素材と中国との交流で得たコチニール赤。絹、木綿、麻といった素材の多様性。しかも中国に同化はしていない、独自性がある。しかし、陶器の場合土が悪いのだろう。良い色を発する粘土がない。使う文化としても茶道が器を進化させたように。沖縄舞踊が紅型を育てたような、陶器を育てる文化の高まりがなかったのだろう。茶道を必要とする社会の背景は、沖縄には似合わない、緊張対立したストレス社会だろう。
紅型を纏うことで、仮面をかぶることと似たような精神状態が生まれる。異次元の場所に立つ。幽界。過去。祖先。生と死。内的な世界が紡ぎだされる。陶器も同じで、そこに内なる生命のようなものが宿らなければ、それは単なるものに過ぎない。ということは、沖縄では、紅型は必要不可欠な衣装である。沖縄が貿易立国していたがゆえに、紅型の贈答品としての価値。陶器の器はあくまで、道具であったのだろう。たまたまシーサーは守り神である。生命力を込めなければ役立たない。それなりのものがある。博物館の前に風化した石のシーサーがあった。風化した状態がいい。石のシーサーのほうが陶器製よりいい。シーサーが表わすものは、家というものを石の壁で取囲みその中を異空間として守るということ。これが城壁の石積みのことにつながる。別空間を作り出す沖縄。