沖縄で考えたこと 1
高校生の時、山川出版の歴史教科書の地図ページに台湾のところが、琉球と記載されていた。これは誤いではないかと、東大の教授になられた菅原先生に質問をした。こういう時代とこういう考え方があるのだ、という事を先生は言われた。琉球の人々が日本人であるとはっきりと認識されたのは、明治の民俗学の成果であると、この事を父は良く話していた。琉球が沖縄になるにはそれだけの行きさつがある。今になって沖縄の事を学んでいる。沖縄の歴史の重さは、日本人の本質にかかわる問題点を良く表している。岡本太郎氏が書いたように、縄文日本人の原型のようなものが、沖縄の離島の中に現存しているという指摘。何も無いというすがすがしさの中に、神聖なものを感じる感性。縄文的な過剰な表現と、ないという所の魂の位地。岡本太郎氏の作品には、少しもそう言う良さがないのだが、文学的には良く本質を書かれている。琉球の時代の人の中は、中国の方に近しいと感じていた時代があった。
中国の臣下としての琉球時代。島津藩による長い搾取の時代。更なる明治政府の差別。そして、戦後アメリカの占領。そして、返還後の基地の島としての沖縄の置かれた悲惨。そして、現代は日本の都合での沖縄利用の時代ということになるのか。基地の移転国内移転すら、拒絶され、原発と同じで、補助金による基地としての沖縄利用。普天間米軍基地と辺野古移転の問題。沖縄はこれからの日本を考える上で、重要な所に置かれている。一度行ってみたいと思いながら、実現できないでいた。生き物を飼っていると、動きが取れない。せめて資料だけでもと本をあれこれ読んでみた。70歳を過ぎて農作業が出来なくなったならば、沖縄で暮らせないだろうかなどと憧れている。行ってみたこともないので、何とも言えないのだが。沖縄へのあこがれは、南の島へのあこがれである。日本人が南の島からイモガイを求めてたどり着いた。故郷の南の島に憧れるのだろうか。
歴史の確認。沖縄の人々は南九州からの移住の人々であるというのが、最近の学説では有力なようだ。今から1000年も前になると、離島の方がむしろ暮らしやすいという事がある。宝貝の生産地としての沖縄を重視したのが、柳田民俗学である。それは沖縄の縄文期からのことで、さらに南方の島から、宝貝を求めて移住が起こる。そして、沖縄に到達する。沖縄を通過して、日本列島に到る日本人の成立。流れ寄る椰子の実から、思いは古代までの学問の中に詩を描いた。再度、沖縄に日本から渡る時代が巡る。この縄文沖縄が、岡本太郎氏の言う縄文日本の原点。しかし、大陸には中国明という巨大な国家が存在し、その属国としての沖縄の存在。その頃沖縄は沖縄王朝を成立させている。当時、秀吉の朝鮮出兵に対する対応でもわかるように、中国明の国力は衰退期に入っている。辺境の沖縄どころではなくなっている。沖縄は中国や東南アジアとの交易を通して、日本本土以上に豊かさを作り出した時代。
沖縄差別の問題。朝鮮差別と同様であった。この感覚は今はほとんどないように思うが、差別はするほうのことではなく。されるほうの問題である。日本人の悪い性癖が現われている。島国の閉鎖性というか、日本人だけを人間と考えているような所があった。一度も沖縄という所に行ったことがない。行かないであれこれ考えても始まらないので、ともかく計画もなく沖縄に行くことにした。笹村農鶏園には、生き物があれこれたくさんいる。兄に頼むしかない。兄は畜産の専門家だから、こういうときには頼りになる。もう退職したので、頼んだら引き受けてくれた。実は居間沖縄でこれを書いている。昨日は、飛行場から沖縄博物館に直行した。紅型展をじっくり見せてもらった。国宝3点を含む100点の展示。松坂屋コレクションの初公開。沖縄で考える下地を作る意味で、まず紅型の世界にどっぷり使った。