沖縄で考えたこと 3
沖縄は世界歴史遺産に9か所が指定されている。その内5か所は城である。北部の今帰仁城跡、中部の座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、そして南部の首里城跡。この5つの城はどこも城壁だけが残り、この城壁が世界遺産といってもいいほどである。私は金沢城の石垣の中で4年間過ごした。これは素晴らしい経験であった。石垣が生活空間から、大学空間を隔離する。沖縄の城砦は人間域とか、幽界とか、結界とか。よくは理解できない世界である。人間がこの中に暮らすという意味を、金大城内で学ぶことのできた4年間の贅沢なの幸せを知っている。しかし、沖縄の5つの城跡は金沢城をしのいでいる。現代美術的な空間といってもいいような異空間の創出。これは沖縄の住居の歴史から来ている。風が強い島に暮らす知恵で、石垣が発達した。
この石垣が住まいという空間を濃密にしている。この範囲の中に暮らす。これは開放的な南の感覚を、自分の住まう空間を区切るということで、独特の落ち着きのある空間にした。それは霊場などもそういう取囲む空間意識が感じられる。壁で区切るということが人間の暮らしの範囲を示すということである。それは暮らすということが、他と隔絶するという意味でもある。4件の家がひとつの石垣で囲われて暮らしていたとされるところが城内にあった。ああいう場所で暮らしたいと思うようなすばらしい場所である。江戸時代の農村的住居が、開放的で防御をはずしていたような状態。それは今の日本人のあり方でもある。守るということを、他に対する信頼という形でゆだねて居られたというか。そう強制されていた国。沖縄の城砦は緩やかな曲線で作られている。金沢城のような鋭角的な完璧さはない。門も石で作られている。場内を異空間化している。この感覚はすばらしい。石で囲まれているにもかかわらず、柔らかで広がりすら感じる空間。ここが聖域で、政ごとが祭礼と離れない状態。
沖縄には城が400を超えてあるという。多くは1400年代に作られたらしい。沖縄尚王国が統一される過程の戦乱。やはり戦国時代の反映。中国との関係や、倭寇との関係もあるだろう。貿易立国は防御を固めなければ、安心ができない。城は山城で、よくこの高台にこれだけの城壁を立ち上げたといえる。1年で完成したという言い伝えがある。と書かれていたが、石を積む技術が一般化していて、それだけの動員力と技術力が兼ね備わっていたのだろう。現代日本も貿易立国であるが、外国との関係は不安定である。どれだけの軍備をしたところで安心を得られない。沖縄王国が海外交易の国として、江戸幕府、島津藩に搾り取られる形で利用される。アメリカと日本の関係を思い出す。アメリカが原発を沖縄には作らせなかったのではないか。原発があるということは、防衛上きわめて不安定で軍事基地には困るものである。
沖縄復帰40年である。この時期に沖縄という意味も少しある。一番沖縄のことを考えたころから、40年が経過した。自分の生き方が重ねあわされる。何が変わり、何が変わらす、ここに来てしまったのか。お城のことであった。城砦の中のパフォーマンスされた空間。人がいない時間に一人この空間に立つと、石垣によってに演出された、濃密な伝わってくるものがある。この意味はもっと考える必要がある。中城城址では最上部を発掘で大勢の人がをいた。空間感が消えていた。城砦はアーチによる入り口のみが開かれ、3の空間、2の空間、1の空間と続いている。空間が空気を徐々に変えてゆく。建物があった場合どうなるのだろう。祈りの空間の意味。このことを考えてみる必要がある。