善行少年表彰
Kです。
今までパトロールに参加してくれていた二人の
中学生が、本日、善行少年として小田原市長より
表彰していただきました。「善行」などという言葉
そのものが嫌いな私ですが、褒められることはよいことだと思い、
推薦し、通ったのです。
こういう中学生もいるのだということを知らせることだけでも
意味があるかと思い、校長に申請してもらい、通ったということです。
二人は、本日の参加者に、野宿者に対して持っている皆さんのイメージを
変えてほしいと訴えていました。「基本的に優しい人たちだ」と。
川面 壮輝さん 堀 嵩さん のお二人のことです。小田原市のホームページにも載っているので名前を出させてもらいます。中学1年生の後期に始めた授業を契機にして、野宿者に関心を持ち、団体の実施している夜のパトロールに参加して1年以上が経過している。野宿者にも感謝されており、冬季に行われる炊き出しにも参加している
この「基本的に優しい人たちだ」という言葉に打たれた。路上生活している人たちを怖い人、何をするか分からない人。こういう先入観が多くの人にあるかもしれない。お会いし話をすると、むしろ怖い人とは程遠い、と言うことが分かる。お二人の中学生が気付いた、「優しい人」と言う感想から、大切なものを教えてもらう。大きなものを学んでいる。優しすぎて、路上生活に入ると言う人が確かに多い。子供の頃、おこんじきさん(なぜだろうか、そう呼んでいた。)とのかかわりで、2度怖い体験があるので、路上生活者に対して、怖いと言う先入観を否定するものではない。お寺と言うこともあったと思うのだが、様々な知らない人が来た。やはり、暗くなってから来る。縁の下に泊めてもらえないかとか、山門のところに寝させてくれないかなど、旅の修行僧と思われる人も来た。頻繁に訪ねて来る人があった。縁の下で炊事をしてボヤを起こした人がいた位だ。祖母はそれこそ優しい人ではないが、何かの縁で訪ねて来た人に何かしらを渡さないことはなかった。
それが一般的なことで、特別という意識はなかったと思う。明治以前の地域の風習に根差しているような感じで、お寺という宗教的なものではなかったと思う。それは母にも受け継がれていた。昔の貧しい山村の暮らしでは、助け合うということは、ギリギリの事で善行と言うような意識ではなかったように思う。いつ自分もそうなるやもしれない、他人事ではなく明日の我身と言う空気が濃厚にあった。お婆さんは貧しくなった大きな農家の出の人のせいか、身についている何かが違っていた。今思うとお婆さんの行動から学ばされたものは大きい。孫と一緒に成ってやる。と言うのが基本。私自身さらわれかけるようなトラウマが、おこんじきさんにはあった。その後もお婆さんの態度は何も変わらなかった。
二人は善行少年と言う事だ。善行という名称を続けている感覚はどうだろうか。日本善行会と言う戦時中に出来た社団法人がある。国民学校とか、少国民に繋がるようなイメージがある。宝くじ協会からの1000万円の寄付があるようだ。東電も会員である。ではどういう名前がいいのだろうか。その趣旨は、社会全体の為に各々が行うべき役割を良く果たした。こういうことではないか。社会貢献表彰と言うことではないか。ボランティアと言う意味も、行き渡っるに従って、少し歪んでいる。本来なら自らやりたい事をやらしていただいているはずなのが、ボランティア行為である。すでに、善行ですよ的な、おしつけがましい空気が伴う場合がある。社会の中に、共通の価値観が無くなってきている為、あらため言わないと分からない人が居るので、と言うような断り書きが必要になっているのだろう。路上生活の人との交流すら、良く言わない人もいる。