飯館村支援のために市民ができること

   


写真は今の田んぼの様子。余りに辛い話なので。

平塚の市民活動センターで、飯館村に関する市民集会があった。その内容は全く打ちひしがれてしまうものだった。政府というものが、ここまで国民の命や安全をないがしろにするものかという恐怖である。飯館村が距離的には、原発から30キロ以上あるが、放射能汚染は水素爆発の時点から極めて深刻だったことである。にもかかわらずまだ避難が未だなされていない状況である。政府は早い段階から、飯館村の汚染情報を把握していた。放射能は同心円状に汚染を広げる訳ではないことは、常識的なことだ。水素爆発した日に、原発から福島市方向に、緩やかな風があり雨が降った。放射能はまとまってどかんと飯館村方面に落ちた。その濃度は、原発3キロ周辺地域と同じような状況に成っている。そしてそのことを知っていながら、見て見ないふりをした。今にして思えば、アメリカ政府の80キロ立ち入り禁止の方が、正しかったことに成る。

少なくとも屋内待機、幼児子供の避難。これは事故直後にすべきだった。何故出来なかったのかと言えば、今の状況の方を選んだということである。一部の住民が犠牲になろうとも、一見の平穏を保つ方を選んだ。政府の覚悟した意識的選択である。80キロを自宅待機地域にした場合起こる混乱を、政府は支えきれなかっただろう。そこで、一部の地域、つまり飯館村周辺を犠牲にしてしたのである。パネリストとしてお話をしてくれた小澤祥司は早くから飯館の危険を伝えていた。その結果もあって、IAEAも特に測定値を発表した。あのときでも遅くなかった。即避難すべきだった。このころ飯館村では安全集会というものが行われたそうだ。長崎大学から来た放射線医療の先生が。飯館村は何の心配もない。マスクもいらない、日常通りで安全と話して帰ったそうだ。この人の行ったことは、学者として失格であるだけでなく、人間として許されないことをしてしまった。犯罪であろう。20ミリシーベルト反対署名

河野太郎氏は予算委員会がある直前という状況にもかかわらず、参加してくれた。日本の原子力政策の問題点を話した。原発から、再生可能エネルギーへの転換を明確に主張されていた。河野氏の持論で、事故が起きて考えが変わったという訳でない。自民党全体が河野氏の考えを是非とも評価してもらいたい。小田原選出の神山洋介氏はこの間原発について、全くの発言なし。連日震災ボランティア活動をブログに書いている。政治家の仕事は政策を立てることである。牧島かれん自民党候補者も同様に原子力政策に関して発言が無い。この場面で政治家として意見が出せないということでは、失望せざる得ない。残念である。市民のレベルに応じた政治家ということらしいが。市民で原発に対して意見のない人はいない。自信の無い、自分の意見のない政治家は何かに配慮してあえて発言を控える。そうした要領の良い人が政治家に多いということだ。

政治家に期待が出来ない。官僚もマニュアルを越えては動けない。行政は判断する材料が無い。マスコミは、大本営発表のみ。となると、市民は市民でつながり、自主判断をするしかない。飯館村から来てくれた佐藤健太氏は、ツイッターをやられているそうだ。ジャスミン革命である。インターネット情報が、自主判断の唯一頼りに成る。飯館村は現在物資の不足とか、震災の被害とかは、全くないそうだ。飯館村は、村上げてお隣浪江町のダッシュ村のような「までいなむらづくり」をしてきた。自然エネルギーでの村おこしを目指して来た。本当にダッシュ村のことといい皮肉なことだ。ダッシュ村付近も高濃度の汚染物質が降り注いでいる可能性が高い。小田原でも飯館村で起きたことを知る集会が必要ではないか。しかし打ちひしがれてしまっている。

 - Peace Cafe